とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

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わぃわぃ物語

わぃわぃさんは、阪神・淡路大震災のときに頑張ったので、
ちょっとしたアイドルになりました。
その新しい考え方は、たくさんの人たちの共感を得たからです。
その後19年の間、その人たちの期待と応援を基に
『多文化共生のまちづくり』をめざすひとつの役割りを
はたすために、ずっと活動をしてきました。
その間、ずっと支えてくれたのは、TCCさんでした。

YYスタジオ1995

しかし、震災復興のちょっとしたシンボル的存在になった
わぃわぃさんは、その人気を勘違いして
えらそうな態度になり、地域の人たちから嫌われ始め、
11年前に一度心を入れ替えて活動方針を変えたことも
ありました。
そのときに、自分の思うような活動をするには
もっと経済的な基盤が必要と思い、
これまでもおつきあいしていたツールドさんと
同棲をしたのですが、
3年でツールドさんの財産を食いつくしました。
ツールドさんは、それでもわぃわぃさんが好きで、
活動も応援したいので、
責任を感じてFACILさんを紹介しました。

FACILさんは、それまでの経緯もよく知っていたし、
わぃわぃさんのことも心配していたので、
1年間の交際期間を経て、同棲を始めました。
そして、ツールドさんの思いも引き継ぎ
新生活がスタートし、ツールドさんは身を引きました。

4年間の同棲期間を経て、
FACILさんと二人三脚で活動も少し安定しました。
たくさんの人たちがやってきて、わぃわぃさんが
その人たちをつなげ、感謝されることもあります。
まだまだできていないことはたくさんあるものの、
それなりに地域の人たちも少しずつ応援を
しはじめてくれています。
わぃわぃさんは、相変わらずめだつし
ちやほやされるのですが、
それでも、わぃわぃさんが自立して生活をできるほどの
地域の応援にはつながっていません。

そこで、わぃわぃさんがもっと活動に専念できるように、
きちんと正式に籍をいれようという話しがもちあがり、
まわりの人たちに相談をしていました。

わぃわぃさんは、本当にFACILさんと結婚してしまって
いいのかどうか、
本当にFACILさんだけを愛していくことが、
もともとの活動の発展につながるのか、
こういう政略結婚でうまくいくのかどうか、
2年間ずっとと考えてきました。

そうすると、ずっと支えてきてくれたTCCさんが、
そこまでして活動を続ける意味があるんだろうか、と
この政略結婚を考え直すように提案しました。
実は、FACILさんの方も、自分がこれからずっと
面倒みれるのかどうか、不安にも思っていたのです。

わぃわぃさんも、自分の活動が本当に地域に
必要とされているのかどうか、
この機会にもっとたくさんの人たちの意見を聞いて
みようと思いました。
活動のためにFACILさんと結婚してしまうことで、
地域の人たちが、もう応援しようという気持ちに
ならなくなるのではないか、
これまで支えてきてくれたTCCさんはもっと、
離れていってしまうのではないか、
それでは、本末転倒です。

それなら、自分の身丈にあった、
できることだけを、小さな応援者とともに続ける、
ということでもいいのではないか、
経済的基盤のためのFACILさんとの結婚は、
自分の本意ではないのではないか、
そもそも自分の存在意義はなんなのか。

それをさぐるための親族会議が始まっています。
会議のメンバーは、今後、親族だけではなく、
もっとご近所の方にも拡大してゆっくりと考えようと
いうことになりました。
わぃわぃさんのために、
みんながお話をしにきてくれるでしょうか。。。。。




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2013年夏

2013年8月は、お盆休みをはさみながらですが、
長期の出張に来ています。
スペインからドイツへ。。。
失業率27%という状況下でも特にルーマニア、モロッコ、南米から
多くの移民を受け入れているスペインと、
社会統合政策を進めるドイツを見てきます。
10年ぶりのスペインで、ラテンな気分にひたりつつも、
移住している人を中心にいろいろな人のお話を聞き、
経済状況の深刻さも感じています。
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文化庁長官賞

文化庁長官賞について、神戸新聞に紹介されました。
たかとりコミュニティセンターでの、
活動に関わるみんなの活動への評価として
素直に喜びたいと思います。

文化庁長官賞

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市民活動の組織運営

いまのところ私が運営の責任をもつ団体を、
グループ事業化して
『多文化プロキューブ・グループ』という名前を
みんなで決めて、その体制がスタートしたのは、
2007年だった。

その団体のひとつ、『FMわぃわぃ』では、
1995年の設立以来、さまざまな紆余曲折があった。
誰もが、その運営に試行錯誤しながらも
その時々によかれと思う形を考えてきたと思う。
私も設立者の一人として、いろいろな立場で関わってきた。
2001年ごろは、特定の人たちの自己実現の場と化し、
地域社会からも嫌われていた。
そうなると、経済的にも立ち行かなくなり、
すべての運営メンバーやすべての番組を見直し、
再建することとなった。
そのときのつらさは、去った者たちや、
残された者たち双方にとっても同じだったと思う。

実質的な再スタートを託されたのは
『ツールドコミュニケーション』。
でもツールドも2005年には、
経済的に運営が立ち行かなくなり、
コミュニティビジネスとして、ある程度安定的に
運営し始めていた『多言語センターFACIL』に
FMわぃわぃが生き残る唯一の手法としての
グループ事業化をもちかけられ、2006年一年は、
合同経営にむけた、スタッフたちの意識共有の時間をもち、
2007年からは、その体制が始まったという経緯。

小さなコミュニティラジオ局といえども、メディア。
でも、当時は一人分の人件費さえ出ない状況の経営状況。
これを、私たちが拠点としている
『たかとりコミュニティセンター』の中で何とか支えて
いけるような基盤作りを、FACILの責務として、
この5年間、みんなで頑張ってきた。
FMわぃわぃは、広告塔としての役割りを担い、
FACILの多言語ビジネスや、子どもたちの発信活動をする
『ワールドキッズコミュニティ』のツールとしても、
グループ活動展開による効果をあげた。
そして常勤職員の、ある程度の雇用条件も改善されてきた。

しかしFACILの職員が、グループ内とはいえ、
他の団体の活動を担当するという、いびつな形は、
活動が広がれば広がるほど、周囲からはわかりづらく、
経営の点からも、非常に扱いにくい。
まちの中の、FMわぃわぃを支えようという意識が
薄れていくことも感じてきた。
FMわぃわぃはみんなで支えなければ成り立たないことを、
声高に伝えることもしてみたが、わかってもらえない。

そこで、今後はもう少しシンプルな形にするために、
ひとつの法人とする方向で、その先には、
リーダーの交代も視野に入れて、この2年間は、
関係者で話し合いなどを続けてきた。

ここにきて、このグループは、
たかとりコミュニティセンターの中にあって巨大化し、
FMわぃわぃを吸収してビジネス路線にむかって
出て行くのではないかと思われているという声を聞いた。
FMわぃわぃをみんなで支えるしくみをつくるプロセスで、
いったんは、FACILが支えなければという責任感は、
まったく別の角度でとらえられていたのかもしれない。
そのような中では、もちろん次世代に不安感を残し、
FMわぃわぃを抱えての運営には尻込みすることになる。

そのような声がある段階では、
これをひとつの法人にするという形を急がず、
もう一度、原点に戻って、FMわぃわぃという団体を、
たかとりコミュニティセンター全体がどう扱うかを
問う時間をとることが必要ということになった。

市民活動を『仕事とする』ことは、本当に難しい。
資金を寄付や会費に頼っていては安定せず、
社会的課題をビジネスという手法を用いて解決する、
というコミュニティビジネスを展開することで、
組織経営の維持をしているNPOも少なくない。

しかし、そこに関わる人々の参加意識−それは職員も
ボランティも−をいかに醸成させるか、がポイントになる。
自分がこれを支える一人であるというオーナーシップと、
どうしてもこの団体が必要だというモチベーション、
これがなければ、維持できない。
それを仕事として、安定的な形を作ることが、
いかに至難の技であるかということを、
あらためて、つくづく感じている。

もしかしたら、もうできないから誰か助けて、と
SOSを出し続けている方がいいのかもしれない。
だけど、そうすると、
子どもを育て住宅ローンを払って家族を支える人たちが、
これを仕事として考えられないという、
以前の時代に戻って行くのではないか。。。。。

私の試行錯誤は、ますます混乱中。


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市民活動ということ

1990年の入管法改正以降に来日した日系南米人との
さまざまな活動から始まり、
1995年の阪神・淡路大震災を経て、
私の市民活動歴というような経験も23年に
なろうとしている。

神戸の地震では私も被災者のひとりではあったが、
救援基地のボランティア活動の1年半の間に、
ラジオ局の立ち上げにも関わった。
その後、半年はユーラシア大陸からのラジオ中継もした。

1997年からは、多文化共生のまちづくりという目的で
市民活動団体を主宰して今に至る。
2003年には、一念発起をして大学院へ進学して修士号を取得、
同じ年に、
ラジオ局の経営破綻や運営の方向性の軌道修正のために
再建にも関わった。
2005年からは博士課程後期に進み2008年に博士号取得、
2008年には始めての単著も出版できた。

この歴史の中で、自分自身の人生は大きく変わった。
私の関わってきた市民活動の歴史は、
さまざまなところで記録に残り、また発信もしてきた。
それが、正しかったのかどうかはわからないが、
少なくとも仲間たちとともに納得はしてきた。

多くの善意の仲間たちの中には、善意であるがゆえに
連携をできなかった人たちもいる。
そして、自分が関わってきた活動の歴史が、
完璧に事実誤認されて思わぬ中傷になって戻ってくる
こともある。
その相手が研究者だったりすると、
きちんとした調査や裏付けのないままに、
直接伝えるのではなく、論文でもなく
ネット上やメールで書き込む卑怯さに、
怒りよりも哀れみを感じてしまう。
そういうふうに感じさせてしまう何かが自分に
あるのだと落ち込むこともある。
でも、なかなかキャラクターは変えられない。
もちろん自分が完璧な人間になれるはずもない。

市民活動に関わる人たちはみんな、強い思いを持って
関わることが多い。
社会変革ではなく、自己実現のための場になって
権力化してしまってもそれに気づかないこともある。
その結果、はじき出された人は納得できなくなり、
それが妬みとなることもあるかもしれない。

現在は、大学の教員という立場にもなり、
大学と市民活動や地域住民とをどのようにつないでいくか、
これまでの経験やつながりを生かせる、
私に与えられた仕事である。

今後も、自分自身への戒めを忘れず、
関係のない雑音には振り回されることなく、
自分なりの市民活動を続けたいとあらためて思う。

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