とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

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取材

最近、すごく怒ったことがあった。
日常的に結構、感情をそのまま出すので、
しょっちゅう怒ったり笑ったりしてるから、
本当に怒り心頭でも「またか」って思われてしまったかもしれない。
でも、本当に腹が立って、実は今もすっきりしてなくて、
やっと、こうやって書こうと思う気持ちになったところ。

この15年ほど、いろいろな取材をされてきた。
その中で、自分が広報をお願いして協力をしてもらったことも
あったし、持ちつ持たれつの新聞社もある。
でも、私がぜったいにいやなのは、
ある大きな事件があったときに、近い分野の人として一言の
コメントするっていう取材。
この手の取材は以前にもいやな思いをしたことがあって、
断るようにしている。
信頼する親しい記者に頼まれて仕方がなくて話すときには、
自分が一番に言いたいことだけをしっかりと言う。
知らない記者の場合、絶対警戒するし、断る。

今回、中国人の母親の幼稚園児殺害についても電話がかかってきて
私はこういうデリケートな事件についてのコメントはぜったい
したくないので断ったのである。
ところがその記者は、
「そんな一言のコメントにはしません。しっかりと取材して
お話しを聞いて、きちんと取り上げたいと思うので、
お話しを聞きたい」と言ったので、
私は、きちんとした記事を書くための下調べ取材と理解して、
その新聞社のことを信頼していたこともあって、かなり多忙だった
にもかかわらず、時間をとった。
1時間以上も、社会の問題について思うことをいろいろ話した。
若い記者が、この話を少しは参考にして、これから記事を組み立てて
いろいろ取材をするのだろうと思って、かなり一生懸命話した。

そしてその翌日、中国人の事件を取り上げた、あまりこくのない記事の
中に私がいっぱい話したことの中の、特に言いたくもなかった一言が
名前入りでコメントとして掲載されていたのだった。
私は、そういうコメントはいやだと断ったのに、勝手に出したのである。
読者がそれを読んで特に印象に残るようなことではないし、
あくまで刺身のつまみたいなものだから、記者にしたら
取るに足りないことかもしれない。
だけど、私は愕然とし「騙された」と思った。

あまりの怒りにしばらく誰にも言えなくて、2週間ぐらいしてから
ヨーゼフには話し、
その新聞社の信頼できる友人の記者にメールを出した。
その新聞社がそういうスタンスではないことを感じたかったからだ
と思う。

でも、その友人からは、私が何でこんなに怒っているのかを理解して
くれたとは思えない返事が来た。
「気持ちはわかるが、いっぱい取材しても一言しか書けないことも
あるし、それは広い意味では記者の個性だ。あくまで記者個人との
関係だから自分は謝りに行けとしか言えない」と。

私がその友人に期待したのは、きっとこんなに私が怒っていることを
わかってくれて、怒りを共有してほしかったのだと思う。
そしてそのことで、この新聞社に対する信頼を取り戻したかったんだ
と思う。
でも、肩すかしにあったような気分で未だにすっきりしない。

その若い記者は、翌日こちらの都合も聞かずにこちらの会議中に
やってきて、
あとの私の都合とあわせることができないらしかったので、
「時間がとれないからもういい」と言うと
「そんな言い方ないでしょう。」と逆切れしかけたので、
私ももう用件だけ、つまり私がなぜ怒ってるのかを手短に言った。

「どうもすみませんでした。」
そう言って彼は帰っていった。
彼はそれで、一応の仁義を果たしたつもりなのだろうか。
そして、このことを「運が悪くうるさい人にあたってしまった」と
すぐに忘れていくのだろう。
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