とみちゃんのラテンな日々

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ユーラシアを越えて

『随想』4月1日(神戸新聞)より

前回、少し紹介したが、1996年9月から7ヶ月間、
ほとんど飛行機を使わずに船とバスと列車で、
夫とふたりで隣の韓国からトルコまでバックパッカーとして旅をした。

その間、神戸市長田区のコミュニティ放送局「FMわぃわぃ」で
電話中継をしながら「ユーラシアを越えて」という番組を
生放送で週に2回ずつ続けた。

玄海灘を越えると、
アジアには毎日がお祭りのような楽しい日々があった。

イランでは、イラン・イラク戦争の後に日本に出稼ぎに来ていた、
たくさんの人たちにお世話になった。
彼らは私たちが日本から来たとわかると、
「日本には本当にお世話になったからお礼がしたい」と、
食事に招待してくれタクシーで行きたいところまで送ってくれた。

ただ恐縮するばかりだったが、貧乏旅行の私たちに
できるお礼はないかと尋ねると
「日本では、イランといえば“偽造テレフォンカードを売っていた人たち”
と言われるのが非常に残念。
あれはほんの一部の人かがしたことで、
ほとんどのイラン人はまじめに働いて、
おかげで戦争からの生活再建もできた。

あなたは、そのイラン人のイメージを変えて、
私たちが日本に大変感謝していることを伝えてほしい。」と言われた。
その気持ちはよくわかるので当時の生放送でも伝え、
私は機会があるごとにそのことを話す。

どこの国の人でも悪いことをしてしまう人はいるが、多くは善良な人たち。
こうしてFMわぃわぃに関わってくれた仲間たちの出身国を訪ね、
お世話になりながら気づいたことがたくさんある。
日本では“常識”だと思われていることが、
違う国では“非常識”と捉えられることもある。

そして、ユーラシアを越えていくと、民族もことばも文化も
グラデュエーションのように少しずつ移り変わっていく。
アジアの東の端の日本と西の端のトルコは、
文化、習慣、言葉などが全く違う国のようでも、実はつながっているのだ。
                  (by 吉富志津代)
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