とみちゃんのラテンな日々

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「心のこもったルール」

『随想』1月12日(神戸新聞)より

阪神・淡路大震災から15年を迎えようとしています。
あのとき、ベトナム出身の人達は、
「避難所」という言葉は知らなくても、
火が迫る病院の中から病人を運び出しました。
茶髪の、よくコンビニの前でたむろしていた中学生は、
バケツに水を入れて
お年寄りのところに運んで活躍しました。
いずれも日常的な生活の中で、情報が十分に得られなかったり、
学校を停学になっていたり、社会から何らかの理由で、
排除されたり切り捨てられたりしている経験をもつ「少数者」と
言われる人たちだったかもしれません。

「ルール」という「多数者」だけで決めた目に見えない「権威」。
それがあたかも社会の中で絶対的なことのように人を縛り、
その枠に入らない人達を非難するのです。
その「ルール」を決める時にすべての人の意見がきちんと
取り入れられたのかどうかは考えない。
ここが「日本」だから、「学校」だから、そこにいたければ、
この「ルール」を守れと。
そのため少数者たちは、頑張っているひとにぎりの人以外は、
活躍するチャンスがありませんでした。

もちろん人びとが協調して暮らす社会では「ルール」は大切です。
しかし、忘れてはいけないのは、
地域にこんなに多様な人が住んでいるのに、
ひとりひとりの意見や考えを公平に聞いてできた心のこもった
「ルール」であるかどうかではないでしょうか。
多数決という原理を盾に「多数者」だけに有利なものになって
いないでしょうか。
それを理由に誰かを排除してはいないでしょうか。

完璧な「ルール」はたぶん存在しないのだと思います。
だからこそ、それをいつも考え直すというプロセスを持つことで、
多様な人たちが互いに理解でき、共感できるのです。
そのプロセスで社会が少しずつ成熟していくのでしょう。
震災で私はそのことに気づかされたのでした。
                     (by 吉富志津代)
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