とみちゃんのラテンな日々

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『この人のこの一冊』

原稿依頼されて本の紹介記事を書き、
国際人流4月号に掲載されたので、アップ。
実は、私もこの本の執筆に参加したひとりでもある。

「事典 日本の多言語社会」 編集 真田信治 庄司博史 
              岩波書店 3600円+税

’阪神・淡路大震災時に気づいた多言語社会’

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、未曾有の犠牲者を出したが、
同時に多くの人にいろいろな気づきももたらした。
いつからか日本は、「単一民族・単一言語」だという思いこみを
してきたが、この地震の支援活動のひとつとして始まった、
日本語の理解が十分ではない住民のための多言語による情報提供、
相談活動は、多言語が共存する社会を実感させた。

 震災当時、被災地には外国籍住民約8万人のうち約3万人が、
日本語理解が十分ではなく言葉の壁のために
十分な情報が得られなかった。
市民が先行する形で始まった最初の被災外国人への救援活動は、
母語による情報提供と相談窓口の開設だった。
また、在留資格の種類によって被災者が受けられるはずのサービスが
受けられない場合は、その制度をめぐって行政との交渉にもあたった。
情報提供は、当初、その言葉のできるボランティアを組織化して、
情報を選別、翻訳、それから印刷して配布するなどしていた。
そこへ、関東大震災時のデマによる朝鮮人大量虐殺の歴史が頭を
よぎって同胞のことを案じた大阪の在日韓国人が
神戸市長田区にバイクで持ち込んだ送信機材により、
韓国・朝鮮語と日本語のラジオ放送が始まった。
それを機に、紙媒体の限界もあったことから、
ベトナム語を中心とした英語、タガログ語、スペイン語、
日本語の多言語ラジオ放送も始まった。
放送は、情報提供だけが目的なのではなく、その先にある
メンテナンスを伴って問題解決することが目的だった。
相談活動や行政との交渉は、
これまでも外国籍住民との関わりがあった人たちが
中心となってネットワークを組織し問題解決にあたった。
地方自治体と手を組んで国への交渉にあたった例もある。
 
’救援活動からまちづくりへ’

 こういった緊急時に始まった対症療法的な活動は、
徐々に日常的にも必要であったことに気づき、
根本的な解決に向けたまちづくり活動へと移行していった。
12年を経て、震災の時にボランティア活動の拠点となったところは、
非日常の救援活動の拠点としての役割から、日常的な多文化共生の
まちづくりをめざして活動を展開するNPO/NGOの拠点へと
移り変わっていった。
地域で、ことば、文化、民族、国籍などが違っていても、同じ住民として
いっしょに新しいまちをつくることをめざし、それぞれの団体が、
多言語による相談・情報提供・発信活動、青少年教育、ラジオ・ビデオ
などのメディア事業、IT技術支援、高齢者・障害者の自立支援、
外国人コミュニティ活動(当事者たちの自助組織として)、生活現場の
日本語学習教室、フェアトレードなど多岐にわたる独自の
活動を行っている。
同時に団体同士が知恵と人材を提供し合い、
協働でひとつのプロジェクトを実施する例も増えてきている。
これはNPO/NGOが自立した活動を展開しながら、
それぞれの特長を活かした連携活動をより発展させる形態として、
活動に関わってきたメンバーたちで作り出したものである。
そのネットワークは地域のまちづくり協議会や、その他の分野の
NPO/NGO、行政、企業などとも連携した活動を展開することで、
メンバーも重なりながらますます縦横無尽な広がりを見せている。

 私自身も、これらの活動に中心的に関わってきたひとりである。
未曾有の大地震で私たちが気づいたのは、
まずは住民自治の意識であった。
日常的なコミュニケーションが災害時に
生死を分けることになるということを知った。
生活機能がストップしてしまった地域社会で、
助け合えるのは隣近所の住民だった。
住民とは、国籍や文化やことばの違いに関わらず
そこに住んでいる人すべてであることにも気づいた。
救援から始まった市民活動の12年、
住民が多様になっていく地域社会において、
マイノリティ自身が発信する機会を持つことで、マジョリティの立場では
感じない不具合が明らかにされ、その視点による社会改善が進み、
マジョリティにとっても住みやすい社会となることを目のあたりにした。
 
’豊かな多文化・多言語社会構築への道筋’

 今回紹介する本は、こういった経緯も含めて多くの人が気づいたことを、
言語的多様性をひもといて整理している。
たとえば「多文化・多言語主義」、「多文化教育」、「移民言語政策」
などの基本概念から始まり、「コミュニティ通訳」、
「多言語情報サービス」、「外国人入試特別枠」といった現在の状況や
政策について地域、国、地方自治体、企業や市民活動の分野も含めて
項目をあげて説明し、
アイヌも含むさまざまなエスニック・コミュニティの現状とそれぞれの
言語使用やエスニックビジネスに至るまでを網羅している。
さらに、多様になったのは外国人とともにやってきた外国語だけに
よるのではないという観点から、日本語への外国語の影響、
方言や若者語、言語行動の職業差など日本語自体に含有される多様性を
探っている。
また日本語施策について、
「国語/日本語」という呼称についての議論や戦後の日本語政策の歴史を、
日本が多言語社会を迎える流れと対比させながら紹介している。
海外社会では、また別の発展をみせていく日本語事情の変化にも
着目している。
そして、「セミリンガル」、「言語干渉」、「言語同化」といった
社会言語学や言語政策関連用語についても、
わかりやすい解説がなされている。

 本書は事典でありながら、ひとつひとつの項目が、社会の大きな流れを
とらえていて興味深く読み応えのある内容となっている。
100名近くの、研究者のみならず教育や市民活動の各分野に関わる実践者が
執筆に関わることによって、解説だけにとどまらず、
言語的弱者の排除につながるような社会の、
それぞれの課題まで浮き彫りにしているからである。

 2006年に日本の外国人登録者数は200万人を超えた。
そのうち、主に約45万人は、「特別永住者」という在留資格をもつ、
もはや日本語を母語とする移民3世、4世である。残りの約150万人の
多様な言語的背景を持つ住民は、
最近の20年から30年の間に日本に暮らし始めた人たちである。
さらに、毎年約15000人の外国人登録者が、日本国籍を取得している現状を
あわせれば、日本語を母語としない住民や外国の文化背景をもつ住民も
「日本人」としての人口に数えられる。
また、どちらか一方が外国人の親である子どもの多くが
日本国籍を選択するが、
彼・彼女らは、少なくとも二つ以上の言語・文化的背景をもつ。
このように、ますます住民が多様になっていく将来の日本社会を
しっかりと意識し、個人の尊厳が守られる社会的公正が
実現する社会としての多文化共生社会を考えなければならない。
この目的にむかうさまざまな地域社会の具体的なとりくみについて、
理論的に整理するためにも本書が果たす役割は大きい。
多様な視点を知ることで、実感する本当の人権意識の芽生えは、
日本社会に暮らすすべての人の権利が守られるということに他ならない。

 震災を通して見えてきた誰もが暮らしやすい社会は、
同質性の居心地の良さの裏側にある異質な者に対する無知や無理解に
よる怖れから起こる排除の意識をあえて乗り越えて、
めざすだけの価値がある社会だと私たちは考え、小さなしかけづくりを
積み重ねる仲間たちをひとりずつ増やしていきたいと思う。

 本書は、編者自身の紹介にあるように「現代日本の社会と言語の現在を
さまざまな角度から浮き彫りにし、母語によって理解・表現する権利と、
言語を通して社会にアクセスする権利という両面から、
豊かな多言語・多文化社会構築への道筋を展望する」
という目的を果たした一冊といえる。
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2007-09-30 Sun 10:39 環境用語
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