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とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

父の永眠

4月5日に父が永眠いたしました。
その後の仏事などで喪主を務めたため、
スケジュールを変更したり、
しばらく連絡がつきにくくなり、
ご迷惑とご心配をおかけし、
すみませんでした。

3年前に歩くことができなくなって入院、
そしてその後は介護施設に1年お世話になりましたが、
その間に頑張って歩行器で歩けるようにまで快復し、
2年前から母と一緒にケア付きの住居で食事などの
お世話になりながら、しんどそうでしたが、
静かに暮らしていました。

そして母が骨折で今年3月初めに入院して、
それをおいかけるように1週間後に父も肺炎で入院し
肺がんだとわかったのですが、
担当医と相談の上、もう緩和治療をしてもらうことに
していました。

3月中はできるだけ姫路の父母の病院に行くようにし、
幸い同じ病院に入院だったので、
特に、母のことばかり気にかける父のために、
何とか同じ病室にしてほしいと何度もお願いして
亡くなる1週間前から二人部屋に一緒にいました。
そして、入院から3週間後に老衰のように苦しまず
痛がらずに静かに少しずつ弱って亡くなりました。

私がスペイン出張から戻るのを待ち、帰国後に
今年4月から私も少しはゆっくりできると伝えたら
安心したかのようでした。
父も数え年の90歳という高齢で、母も入院中ですので、
ごく内輪の家族葬にして、お香典も辞退させていただくと
いうことにしました。

父は、もともと派手なことが嫌いで、
慎ましやかな90年の人生でしたので、
父にふさわしくこじんまりとした葬儀で、
近しい人と静かに送ることができました。
母は一週間前に大腿骨骨折の手術をしたところなのですが、
介護タクシーでヘルパーさんの手を借りて、車いすで、
お通夜とお葬式には何とか参列しました。

2015年6月に父の米寿のお祝いで、
近くの温泉に家族全員で宿泊したときはとても喜び、
これまでの人生で今が幸せと言ってくれましたが、
これは一人娘の私のための言葉だったと思います。

そして、入院中に父が最後にはっきりと私にかけた言葉は、
「気をつけて帰れよ」 でした。
心配性の父らしいいつもの言葉でした。

実家にはもう誰もいませんし、母も長期入院中なので、
神戸の自宅の床の間の仮祭壇に、
父が退職後に書いた色紙と一緒に遺骨も祀っています。

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