コスタリカ (9/3 Sat.~9/7 Thur.) |
2011-09-11 Sun 23:14
カンクンからは、パナマ経由でコスタリカへ。
コスタリカではグレンに会って、今後の恊働の話しを 具体的に詰める。 世界でただふたつだけ、軍隊を持たず、平和憲法の国が あり、そのひとつの日本と、もうひとつのコスタリカには、 一度はいくべきだと思っていて、今回はそれが実現した。 コスタリカ大学の様子 ![]() ![]() ![]() 200年前に地震で甚大な被害を受けたために、 衰退した古都カルタゴ。 そのときに崩壊した教会は当時のまま公園になった。 ![]() 訪れた日は、ちょうどカトリックのお祭りの日だった。 ![]() ![]() 市場の様子。 ![]() ![]() 今も活火山で災害の可能性があり、 世界第2の噴火口のポアス火山などを訪問した。 ![]() ![]() 今回の案内役のグレンは、さまざまな社会課題を扱い、 政府や大学と連携しているコンサルタント事務所を経営している。 現在、在コスタリカ日本大使館に勤務している私の団体の 元インターンと彼をつなげることもできた。 ![]() コスタリカの平和憲法制定のきっかけとなった、 1948年の内戦時に城の壁に打ち込まれた弾劾あと。 そのときの悲劇を忘れないためにそのまま保存。中は博物館。 ![]() ![]() 今回のコスタリカの訪問で、来年度には、 日本とコスタリカで、自然災害を切り口にして平和憲法を 考えるフォーラムを開催するという構想がまとまった。 フォーラムの実務メンバーたちと。 ![]() コスタリカのおいしいお料理たち。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 町の通りにある、典型的なコスタリカ女性の像 ![]() 7日にはコスタリカを発ち、 パナマ、メキシコ、サンフランシスコ、成田を経由して 9日の夜に伊丹空港に帰るというハードなフライトスケジュールで 帰国した。 |
カンクン(8/31 Thur.~9/3 Sat.) |
2011-09-04 Sun 23:27
メキシコシティからは、いよいよカンクンへ
きれいな海は30年前と変わっていない ![]() ![]() 南北アメリカに暮らす日系人が 2年に一度国を変えて集会を開催しており、 今年はメキシコのカンクンで開催される。 主催するのはCOPANI(La Convención Panamericana Nikkei) という、世界で一番大きい日系人のネットワーク組織である。 ![]() 日系3世の受付嬢と ![]() 空港からぞくぞくとバスで到着する日系人たち ![]() ![]() 9月1、2日の両日に、 日系人について、教育、言語、アイデンティティ、経済 などをテーマとしたワークショップや講演が行われた。 特に今回は若者たちが中心的になって運営し、 参加も多くて、『今後の日系ユースを考える』という フォーラムにも多くが議論を交わしていた。 使用される言語は、英語、スペイン語、日本語と幅広く、 日系人自身が通訳も果たしていた。 関連記事は、 http://www.discovernikkei.org/en/journal/2011/11/28/nikkei-latino/ 日系ユースネットワークの打村さんにインタヴュー ![]() 日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語の同時通訳ブース ![]() ![]() ![]() 松本アルベルト氏の発表 ![]() サンパウロ大学の二宮正人先生と久しぶりの再会 ![]() 最後の交流会では、メキシコで人気のある日系人歌手を 迎えて盛り上がり、最終日のエクスカーションでは、 多様なメキシコの伝統文化を味わうこともできた。 交流会 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() メキシコで人気の日系人歌手と記念写真 ![]() エクスカーションへ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日本というルーツと、別の国で生きることの両方に誇りを持ち、 これを自分たちの強みとしてたくましく生きてきた歴史を 実感した。 豪華なホテルでのこの日系人大会に参加すること自体が、 成功した日系人たちのステイタスを確認する場なのかもしれない。 |
メキシコシティ(8/25 Mon.~31 Thur.) |
2011-09-01 Thu 23:36
灼熱の砂漠、エルモシージョからメキシコシティに戻り、
旧知の友人、クアテモックに迎えてもらう。 彼とは、阪神・淡路大震災の関連で知り合い、 日本で2回、CODEが支援したハリケーン被災地の カンペチェへの視察の時にもお世話になっている。 ヨーゼフは、ハイチでも会っている。 さっそく夕食をメキシコの伝統料理で楽しみながら いろいろと打ち合わせをする。 私たちが、観光で来ているわけではないことを話して、 スケジュールをたてる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 26日は、川で船の生活者で有名なソチミルコを訪れ、 博物館や市場をめぐる。 ![]() ![]() このあたりで有名な緑のトルティーリャ ![]() 美術館の庭の犬の像&本物の犬。アステカ時代から生き続けている。 ![]() カラフルな花のオブジェ ![]() 市場内でもマリアッチ! ![]() 町の中でよく見かける靴磨き屋台。 ![]() 公園に集まって刺繍をする女性たち 夜には、AMARCメキシコのメンバーで、 AMARCの女性リーダーのマルとの食事で、いろいろな メキシコのコミュニティラジオをめぐる動きを聴く。 ちょうど、Radio Voladora のラジオ局としての権利を めぐる裁判に勝利したところで、その経緯を聴き、 少しずつだが、メキシコ政府のメディア独占状況が、 市民にも門戸が開かれていっているようだ。 しかし、まだ長い闘いは続くという。 27日は、そのコミュニティラジオ局Radio Voladoraのある アメカメカを訪ねた。今回は2回目の訪問だ。 ![]() 最近の状況などをヒアリングさせてもらった。 ![]() ![]() アメカメカは大雨で大変だったけど、 市場を見学して、 昼食は名物の大きなピーマン肉詰め料理を食べて大満足。 ![]() ![]() ![]() ![]() 夕食も地方の料理を食べる。 ![]() ![]() 28日早朝にヨーゼフは帰国の途へ。 今日は日曜日で、シティの中心にあるカテドラル広場では、 労働者たちが政府に対するさまざまな抗議運動を 繰り広げており、見学に行ってきた。 ![]() ![]() そのあとは、クアテモックの活動拠点、スラム街の施設、 『Casa de Hogar』を見学。 ここでは、行き場のない高齢者や夫から逃げている女性、 親と暮らせないたくさんの子どもたちが暮らし、 食事時にはホームレスの人たちも食べにくる。 老人ホーム/養護施設/炊き出しサービス/シェルター/ そして各種相談窓口を兼ねたこの施設を彼は運営している。 ![]() お昼ご飯は、だれでも食べにくることができる。 ![]() ![]() 散髪をしてもらうホームレス ![]() ここで働くのは、自分もここで大きくなった子どもや、 夫のDVで逃げてきている女性、シングルマザーたちだ。 みんなのいろいろなお話を聞いている間にも、 中学生の息子の暴力に悩む母親が息子を連れて相談に来る。 クワテモックは言う。 「メキシコ政府は格差社会の下層にいる人を切り捨てている」 夜にはスペインから来ている介護士たちと合流。 翌日は、彼が中学教師時代の教え子で、 父親の靴磨きの仕事を手伝いながら、苦学して 現在では教師になった少数民族の家庭を訪問。 彼の息子たちは、その少数民族の言語も学んでいる。 ![]() 石臼で作る本格的サルサをはじめ、伝統料理をごちそうになった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 30日はクワテモックのお姉さん宅に招かれて、彼の家族に会う。 お姉さんは教育者として現場を離れた今でも 教育局のアドバイザー的な仕事をする。彼女の話しは興味深い。 夕食には日本料理を作り、10人ほどが集う。 中には、ラジオ局勤務の家族もいて、AMARCの話しもできた。 ![]() メキシコで人気の日本料理メニューの鉄板焼きとかにかまサラダ、 おにぎりなどを作る。怪しげだが、好評! ![]() デザートのあとに食べるカラフルなおせんべい。 かぼちゃの種がはさんである。 ![]() |
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