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とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

被災地へ

ほんとうに、言葉が出ないような状況だった。
あまりにも広範囲であまりにも甚大な被害で、信じられない
ような光景が現実にあった。
東日本大震災は、震災というよりは大津波と原発被害だ。
この三つどもえの災害に立ち向かうには、
日本中が根本的な生活の見直しをすることから始めるべきだと思う。

*****
「FMわぃわぃ」「多言語センターFACIL」の活動の概要
  (「東北地方太平洋沖地震多言語 支援センター」とも連携)  
                        2011年4月

●3月11日の災害発生直後から以下の活動を展開しています。
*多言語情報提供について  
 (1)多言語支援センターの翻訳・通訳ボランティア募集への協力
     (大阪大学グローバルコラボレーションセンターの協力)
 (2)多言語支援センターのちらし/ポスターの作成および広報
     (大阪大学グローバルコラボレーションセンターの協力) 
 (3)多言語支援センターへパソコン20台の提供(オックスファムジャパン)
 (4)必要な情報の多言語翻訳
 

 *ラジオ支援について
(1)多言語音声素材を被災地のコミュニティラジオ局に提供
    *参照:http://www.tcc117.org/fmyy
(2)被災地のラジオ局に対して多言語放送時間枠の確保要請
(3)ラジオ受信機の調達・配布予定(オックスファムジャパン提供)
(4)被害を受けたラジオ局へのハード支援

●4月7日から11日に訪問したところ
*現在の宮城県内の災害FM局
   石巻市:石巻コミュニティ放送(株)・ラジオ石巻(100W)
   塩釜市:BAY WAVE(100W)
     →中国人が多いとのことなので中国語の音声情報を重点的に
      お渡ししました。
   岩沼市:ほほえみ(100W)
   亘理郡山元町:やまもとさいがいエフエム(30W)
      →すでに中国語、英語のネイティブが情報を流していました。
   亘理郡亘理町:わたりさいがいエフエム(30W)
名取市:なとりさいがいエフエム(50W)
       
 <今後訪問予定は以下>
   登米市:(株)登米コミュニティエフエム・H@!
        FM〔はっとエフエム〕(100W)
   気仙沼市:けせんぬまさいがいエフエム(30W)
   大崎市:おおさきさいがいエフエム(50W)
    〔設立準備中の団体が市に設備を貸与〕

*ラジオ局以外では以下のところを訪問。
  ・宮城県国際交流協会(MIA) 
  ・仙台市国際センター(SIRA)
  ・ジャパンプラットホーム
  ・総務省東北総合通信局放送部放送課
  ・石巻専修大学内ボランティアセンター(社会福祉協議会)
   およびNPO/NGO連絡協議会
  ・石巻市立湊小学校
  ・カトリック石巻教会→フィリピンのお嫁さんがいました。
  ・石巻商業高等学校
    →ここにいたラテン系の7家族は、多くが帰国し、1家族が女川第一
     小学校に移っていました。
  ・女川第一小学校
    →ペルー人のお嫁さんとその息子と話しをしました。

●今後の予定
* ラジオの配布(2万台をトラックで4回ぐらいにわけて運ぶ予定)
* 岩手県、福島県の国際交流協会、災害FM局を訪問
* 外国人コミュニティとの連携による、外国出身者を孤立させないためのサ
ポートや、ミックスルーツの子どもたちへの心のケアなども視野に入れた
Re:c(ワールドキッズコミュニティの、外国にルーツを持つ子どもたちの表現活
動)との連携も考えて、長期的なサポートを計画

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在日への配慮って?

私は日常的に、会う人には名刺をまめに渡すタイプである。
今の所属と肩書きは、
市民団体の代表、大学の特任准教授、旅行会社の顧問、などで、
市民団体と大学の名刺の両方を出すことが多い。

特に大学は、この2月から着任し4月からは常勤になるので、
報告と挨拶も兼ねて、会う人ごとに名刺を渡すようにしている。

それは、相手が誰であろうとそうしているし、
その新しい所属の立場として、また何か違う情報をもらえたり、
声をかけてもらうこともあると思うからである。

先日、友人の大学の先生に、
大学の名刺を在日韓国人に渡したことを、「配慮がない」と
叱られた。
その在日女性は著名な人だが、彼によると、
幼い頃から貧困生活を経験し、ずいぶん苦労をして家族を支え、
今では多くの本を出しているが、非常に傷つきやすい人だと言う。
これまで、彼女に大学の先生の職の話もあったにもかかわらず、
在日であるということを理由につけなかった経験があるらしい。

彼は、いつも彼女のことを「本当にかわいそうだ」と言って、
長い間支えてきた信頼関係にあるとのこと。
彼は「在日の人たちのその気持ちにもっと寄り添え」と言う。

では、「寄り添う」とは、どういう状態をいうのだろうか。
それは、私が在日の人にだけ大学の名刺を渡さず、
私が大学の職についたことを隠すことなのだろうか。
日本の社会では、転職や転勤などについては、その挨拶をする。
それを在日の人にだけしないことは、失礼ではないのか。

彼の言葉にまったく納得できない私が感じたのは、
彼自身が「大学」という自分の職が、社会の中では権威で
特別な立場だと思いあがっていること、
そして、そのような「上の立場」から「かわいそう」な人を、
守ってあげなければという奢りがあること、である。
たとえ多くの弱者を支えるための行動をしていたとしても。

私自身は、無償のボランティアから今の活動を始め、
ようやく人並みの給料や社会保障へと団体の雇用を改善し、
市民活動をして生活ができるように努力をした16年だった。

市民団体という組織で働く職員が、並列に対等な関係で
業務とミッションを共有できる組織のボリュームの限界が、
20名までではないかと思う。
それ以上になるとヒエラルキーにならざるを得ず、
会社組織になっていくからだ。

現在の自分の団体のボリュームはすでにこの限界にきており、
そろそろ、その団体の中で一番給料の高い私自身から
団体を退く方向性を探さなければならない。

2003年に一念発起をして大学院に入って修士取得、
2005年からは博士課程へと進んで2008年には博士号を取得した。
要領よく取得ができた方だと思うが、5年間、自分の団体の経営の
かたわらの取得は、少なからず大変だった。

それでも、実践の整理/理論付けという意味で行ってよかったと
思うし、その甲斐があって転職ができた。
そのことは、素直に嬉しいと思っている。
大学を選んだのは、今までの市民活動の経験を教育に活かせると
考えたからだった。

今後は、その立場を活かし、自分なりに社会を変えることに
関わって生きていきたいと思う。
その私にとって、彼の「在日への配慮」論は、
「人間の優しさ」とは何かを考えさせられる反面教師となった。

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