ハバナ/キューバ(11月18日~22日) |
2010-12-27 Mon 00:00
ペルーを早朝に出て、いよいよキューバへ。
入国審査は、スムーズにいき、空港からはタクシーで 中心地まで約40分ほど。 ハバナは旧市街地と新市街地とに大きくわかれており、 ネット環境がよいようなので新市街地のホテルを予約した のにも関わらず、ビジネスセンターでしかネットは つながらない。 でも、窓から海の見える静かでこじんまりしていて スタッフの対応もよく、リーズナブルなホテルだったので、 一応納得する。 ![]() 新市街地から世界遺産の旧市街地まではタクシーで 約5分、400円なり。 キューバは、外国人用の兌換券があり、外国人観光客は、 キューバ国民の約25倍の価格で過ごすことになる。 初日の夕食は、石東さんたち建築家グループと合流。 みなさん、すてきな先輩たち。 グループには、コスタリカのグレンさんが通訳として同行。 夜の町を散策する。 ![]() ![]() ![]() この日は、タクシーをチャーターして チェゲバラのゆかりの場所をまわる。 チェゲバラ研究所は工事中で、残念ながら中には入れず ![]() 内務省の建物にもチェの顔が ![]() チェが最初に住んだ家の前で ![]() ベッドでくつろぐチェ ![]() チェが家の屋上から見ていたハバナの風景 ![]() その先には小さな漁師町があって、ヘミングウェイが よく行ってダイキリを飲んでいたバルもある。 ![]() 途中、日曜市で盛り上がっているマーケットを通る。 ![]() ![]() 昼食は、フラメンコダンスを見ながらイタリアン ![]() ![]() 世界遺産になっているハバナの旧市街地では、 いたるところで音楽が聞こえ、人びとはリズムに乗りながら歩く。 お昼ご飯もライブを聞きながら。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日曜日の仮装パレードも賑やかに ![]() ブエナビスタソーシャルクラブのライブでは、 プロダンサーとサルサを踊って、舞台へ! ![]() ![]() ![]() 通りで髪の毛のセットをする人。写真を撮ったら、 チップをねだられた。 ![]() 通りであやしげな葉巻を売るおばさんも。 ![]() 庶民の市場には、あまり野菜はない ![]() ![]() 広場では、毎日古本市 ![]() キューバ危機のときに、 アメリカにむけて発射されそうになったミサイル ![]() ホワイトハウスそっくりの旧国会議事堂 ![]() 失業中で仕事をさがしている若者たちもなぜか明るい ![]() ちょっとした移動に便利な、 町の中を走る自転車タクシーや黄色いココタクシー ![]() ![]() 住宅街の様子 ![]() 住宅街の中の民宿の屋上で。世界遺産の古い町並みも、 上から見ると何とかメンテナンスして住んでいる様子。 ![]() ![]() ハバナの中華街の入り口 ![]() 川辺で中国麻雀をしている人たち ![]() 道ばたで野菜を売る農協の人 ![]() 1950年代の、展示会場でしか見られないような クラシックカーがポンコツながら町中を走っている。 ![]() 修理をしている光景もあちこちで ![]() 一日サルサレッスンの先生の家族と記念写真 ![]() 小学校で石東さんが折り紙を教える。 学校には必ずチェゲバラの写真が飾ってある。 ![]() 最後の日はヘミングウェイが定宿にしていたホテルに泊まる。 ロビーではピアノ演奏 ![]() ヘミングウェイが見ていた景色には、 チェゲバラの最初の家が見える。ちょうど海峡をはさんで 向かい側にこのホテル「アンボスムンドス」(Ambos Mundos /スペイン語で両方の世界の意味)がある。 ![]() 夜のカテドラル前のカフェは本当に美しい ![]() ![]() カテドラルの中 ![]() おいしいカクテルの数々、モヒート、ダイキリ、ピニャコラーダ ![]() ![]() ![]() おいしいお料理も(どこのホテルも朝食が豪華) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ハバナを出る直前に、チェゲバラ研究所の事務所にいる ゲバラの長女のアレイダさんとうまく連絡が取れて、 1時間半の会談の時間が取れた。 2年ぶりの再会だったが、グレンとともに、 いろいろな話ができた。 ![]() ![]() チェゲバラ研究所の向かいにある事務所 ![]() 空港と空港内の行列 非効率な航空会社の対応と出入国審査の横柄な態度の役人は 社会主義国の特徴か。。。 ![]() ![]() 一度は訪れたいと切望していたキューバ。 社会主義なのにラテンな国キューバは、不思議の国だった。 今度は、ハバナ以外の、ゲバラが革命のときに辿った道を 訪れたいと思う。 |
リマ/ペルー(11月14日~17日) |
2010-12-26 Sun 23:43
ブエノスアイレス空港から、
ヨーゼフは帰国の途へ、私はペルーへ ペルー人の友人は多いし、これまでもペルー人たちと 一緒に活動してきたプログラムもたくさんあるが、 ペルーには初めて訪れる。 前半はロクサナの妹のジョバンナの家に泊めてもらい、 初日はリマの観光スポットを案内してもらった。 ジョバンナの家の前で ![]() 海岸の道は切り立った崖沿いに走る ![]() リマ旧市街地のプラサ ![]() リマ旧市街地の中華街 ![]() バランコ地区の夜店 ![]() ![]() ホルヘ(ジョバンナのだんな様)は、警察の偉い人。 ![]() ジョバンナのかわいい3人の子どもたちと昼食。 ![]() ホルヘ(ロクサナの夫のセサルの弟)の姪の誕生日パーティに参加。 ![]() 旧市街地や官公庁街、新市街地、新興住宅街など、 どこを見ても、新しいビルがどんどん建てられ、 人が行き交い、物があふれていて、 リマは経済成長の最中のような勢いがある。 日系人の仕送り効果と、中国産業の参入のようだ。 その象徴のようなラルコマルというモールの 海の夜景の美しいBARで、元名古屋総領事館の メンディビル大使にピスコサワーをごちそうになった。 ![]() ![]() 後半は、新市街地のミラフローレスのホテルに移って、 ハビエルのお兄さんのアルトゥロに、 日系ペルー人協会や日系人関連の施設を案内してもらう。 ![]() ![]() 建物の中には日本庭園が。。。 ![]() お茶のお手前のてほどきをする日系人 ![]() 第二次世界大戦中に日系人を収容し財産を没収して アメリカに強制的に送ったことの賠償として、 10000m平方の土地がペルー政府から日系人に返却され、 日系ペルー人協会というNGOを設立し、そこに病院、劇場、 レストラン、ホール、資料館、日本語教室を含む各種文化教室、 その他必要な事務所や相談機関があって、毎日5000人が活用している。 しかも病院は、リマでも一番の最新機器と技術とシステムで、 ペルー人たちも診察を受けにくるが、 日系人の場合は予約ができるという優先権がある。 でも、医療費は他よりも安く、貧困層からはもらわないらしい。 運営はそれらの経営で成り立っていて、 日系人を中心に1200人が雇用されている。 それにアルトュロのような役員などボランティアで関わって いる人が約400人ぐらいいるそうだ。 ペルーにこんなに大きな当事者組織があることを知らなかった。 しかも、日本人としての誇りをちながら、 ペルー社会に貢献しようというのがコンセプト。 会長にもインタヴューができた。 それ以外に、ラウニオンというスポーツと教育施設、障害者施設、 介護施設もあり、小学校から中学校までの生徒850人が通う。 教室を見学すると、 「きりつ」「れい」「ちゃくせき」の号令で挨拶をしてくれる。 今の日本の学校では見られない風景だ。 そしてハビエルのお母さんと一緒に彼のお墓参りも。 ![]() その夜は、今回の渡航前に参加したヒルトンホテルでの ペルーフェスタでインタヴューをしたペルー人シェフの レストランに招待され、ジョバンナ、アルトゥロ夫妻、 メンディビルと彼女、などを誘って最後の晩餐となった。 大使と日系ペルー人協会とのつながりになればいいと思う。 メニューは、ペルー風の和食創作料理という感じで感激もの。 もちろんピスコやワインも堪能した。 メンディビル氏とアルトゥロ ![]() ペルーの料理は、魚介類から肉類、野菜、芋類などの 食材も豊富で、メニューもバラエティに富んでいて、 南米でも特においしいという評判。 以下に、そのメニューの一部を紹介! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
ラプラタ/アルゼンチン(11月7日~13日) |
2010-12-04 Sat 00:38
ニューヨークからワシントン経由で約14時間をかけてアルゼンチンへ.
この一週間はラプラタで開催される「AMARC10」に参加する。 世界コミュニティラジオ放送連盟の4年に一度の世界大会が 今回はアルゼンチンとなった。 カテドラルのライトアップは美しく、 最初の夜のアルゼンチン料理はかなり美味。 ![]() しかし、ラプラタは郊外の古いきれいな町だが、 毎日朝から夜まで会議なので、あまり印象に残ることはない。 会場での様子、世界からやってきた仲間たちの取材攻勢、 ワークショップにパネルディスカッション。 ![]() ![]() 会場からのラジオ生中継中 ![]() ![]() アルゼンチンの先住民の歌を披露 ![]() 通訳ブースでは多言語の同時通訳 ![]() アジアの女性陣で記念撮影 ![]() 私が参加したのは「言語マイノリティとラジオの連携」 ![]() ヨーゼフは、「災害とコミュニティラジオ」 ![]() 大会一日目の夜はカルチャーイベントがあって 本場のタンゴで楽しんだ。 ![]() ![]() ![]() お昼ご飯をはさんで、参加者が一週間毎日顔をあわせるので、 仲間意識は強まるが、 2008年3月に開催されたラテンアメリカの大会のときに 感じたような一体感や楽しさは、思っていたより 盛り上がりに欠ける。 最後の日にはブエノスアイレスの コミュニティラジオや市民活動団体の見学と観光と フェアウェルイベント。 ![]() 私も収録で参加 ![]() フェアウェルイベント会場では、ハイチのチームが インターナショナルソリダリティプライスを受賞。 ![]() そのあとは、女性4人のラッパーのライブ ![]() AMARC本部事務局長のマルセロと副代表のアレイダさんと。 (どう見てもスーパーマリオにしか見えない!) ![]() 全体に予算不足なのか、ごはんが質素だったり イベントが中途半端だったのは残念だが、 多くのコミュニティメディアの仲間たちと同じ空間で 過ごす1週間は、貴重だった。 ブエノスアイレスでの最終日のお昼ご飯は、 宗田さんと炭焼きステーキ そしてアルゼンチンの最後の夜はビールで乾杯! ![]() ![]() ![]() |
| とみちゃんのラテンな日々 |
|