とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

あるベトナム人の死

『随想』4月16日(神戸新聞)より

先日、知り合いのベトナム人が亡くなったという知らせを聞いた。
ある朝、自宅近くのコンビニの前の道で行き倒れていたという。
確か、まだ40代半ばだったと思う。
もし自宅で亡くなっていたら、まちがいなく「孤独死」だったから、
道で見つけてもらってよかった、という声が聞こえた。

 彼はベトナム戦争後、難民として日本に渡ってきた。
神戸で震災にあい、避難していたテント村では、ベトナムでの
本職だった墓石作りの技術を活かして、
その器用さでテント生活の手助け役として活躍した。

 しかし、日常生活に戻るにつれて、患っていたアルコール
依存症がひどくなり、生活はすさんで行った。
それでも人なつこい笑顔で、ときどき私たちの活動拠点に、
おみやげ持参でやってきたことを思い出す。
それは、たいてい盗品だったらしい。

 彼の人間としての弱さを批判することは簡単かもしれない。
同じような境遇でも頑張っている人はたくさんいる。
でも戦争さえなければ、そう思うとやるせない。
彼の死後、住んでいた部屋から、気にかけてくれた人たちへの
お詫びを綿々と綴ったベトナム語の手紙がたくさん見つかったという。

 いろいろな背景があって、同じ「まち」に暮らしている人たち。
「寂しいんだ」と知人にもらしていた彼にとって、
この「まち」は居場所になっていただろうか。

 私たちがめざすのは「多文化共生社会」。
多様さを豊かさと認め、誰もが頑張れるチャンスを与えられ、
そして頑張れば認められる社会。
混乱や面倒なことを覚悟しても、
その社会をめざしていくプロセスで、
住民ひとり一人が少しずつ成熟していくのだと思う。
すべての住民にとっての完璧な理想郷はあり得ないかも
しれないけど、めざしていく意義は大きい。
みんなにとって、この「まち」が自分の居場所になってほしいと
切に願う。
                (by 吉富志津代)


スポンサーサイト
別窓 | 日常のできごと | コメント:2 | トラックバック:0
∧top | under∨

コスプレスナック?

高校の同窓生たちとの恒例のお花見に今年も参加した。
姫路城の桜は本当にきれいだけど、
今年は残念ながら雨模様で、
お城見学の人たちで賑わってはいたけど、
お花見グループは私たちだけ。
ブルーシートに囲まれた私たちは、
きっとホームレスの宴会に見えただろう。。。。
私たちも風景に入れて桜の記念写真を撮っていく人もいた!

そのあと連れて行ってもらったコスプレスナックでは、
女子高生、メイドさん、ナースのかっこうで、
歌いまくったのでした。。。。。

ナース



別窓 | 日常のできごと | コメント:2 | トラックバック:0
∧top | under∨

翻訳本出版

2008年に出版した博論ベースの本
「多文化共生社会と外国人コミュニティの力
ーゲットー化しない自助組織は存在するか?ー」の
英語翻訳本を出版しました!
ご協力をしてくださったみなさま、特に翻訳をしてくれた
ジョン・ネバラさん、エド、めらちゃん、に感謝です!
英語のタイトルは、
Multicultural Symbiotic Society
and the Power of the Foreign Community
―Do self-help groups that avoid ghettoization really exist? ―

book_en.jpg

よろしく!
●この本のPDFデータが必要な方には、お知らせくださったら
 メールで送ります!

別窓 | 研究のこと | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨

ユーラシアを越えて

『随想』4月1日(神戸新聞)より

前回、少し紹介したが、1996年9月から7ヶ月間、
ほとんど飛行機を使わずに船とバスと列車で、
夫とふたりで隣の韓国からトルコまでバックパッカーとして旅をした。

その間、神戸市長田区のコミュニティ放送局「FMわぃわぃ」で
電話中継をしながら「ユーラシアを越えて」という番組を
生放送で週に2回ずつ続けた。

玄海灘を越えると、
アジアには毎日がお祭りのような楽しい日々があった。

イランでは、イラン・イラク戦争の後に日本に出稼ぎに来ていた、
たくさんの人たちにお世話になった。
彼らは私たちが日本から来たとわかると、
「日本には本当にお世話になったからお礼がしたい」と、
食事に招待してくれタクシーで行きたいところまで送ってくれた。

ただ恐縮するばかりだったが、貧乏旅行の私たちに
できるお礼はないかと尋ねると
「日本では、イランといえば“偽造テレフォンカードを売っていた人たち”
と言われるのが非常に残念。
あれはほんの一部の人かがしたことで、
ほとんどのイラン人はまじめに働いて、
おかげで戦争からの生活再建もできた。

あなたは、そのイラン人のイメージを変えて、
私たちが日本に大変感謝していることを伝えてほしい。」と言われた。
その気持ちはよくわかるので当時の生放送でも伝え、
私は機会があるごとにそのことを話す。

どこの国の人でも悪いことをしてしまう人はいるが、多くは善良な人たち。
こうしてFMわぃわぃに関わってくれた仲間たちの出身国を訪ね、
お世話になりながら気づいたことがたくさんある。
日本では“常識”だと思われていることが、
違う国では“非常識”と捉えられることもある。

そして、ユーラシアを越えていくと、民族もことばも文化も
グラデュエーションのように少しずつ移り変わっていく。
アジアの東の端の日本と西の端のトルコは、
文化、習慣、言葉などが全く違う国のようでも、実はつながっているのだ。
                  (by 吉富志津代)
別窓 | 日常のできごと | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
| とみちゃんのラテンな日々 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。