外国人コミュニティのリーダー座談会をテーマに語る番組 |
2010-03-28 Sun 22:27
震災周年事業として、
「震災15年、多文化共生のまちづくりを世界に伝える会」を 発足しています。 そのプログラムの一つとして、2010年3月24日水曜日に、 外国人コミュニティのリーダー3名、 NPO法人「関西ブラジル人コミュニティCBK」理事長/松原マリナさん、 「NGOベトナムin Kobe」 代表/ハ・ティ・タン・ガさん、 「ひょうごラテンコミュニティ」の代表/大城ロクサナさん と、 コメンテーターとして、市民団体の中間支援組織 「市民活動センター神戸」事務局長/実吉威さん、 司会進行は吉富志津代により、座談会を開催しました。 そして3月27日(土)午後8時から9時(再放送は3月28日午後2時から3時)の 「Sound Waves」(英語の番組)では、 特別番組としてこの座談会をテーマに放送をしました。 この番組は、「ミックスルーツ関西」代表/須本エドワードが担当し、 有識者として「震災15年、多文化共生のまちづくりを世界に伝える会」 の代表でもある関西学院大学総合政策学部の山中速人教授が 出演しました。 また、放送を聞けなかった方達には、FMわぃわぃのホームページ、 「番組はオンデマンドでここからお聴きいただけます。」の部分を クリックしていただいたら聴いていただけます。 ぜひお聴きください! 「震災15年、多文化共生のまちづくりを世界に伝える会」 @事務局(c/o ワールドキッズコミュニティ) |
13年ぶりのインドで |
2010-03-17 Wed 00:10
『随想』3月16日(神戸新聞)より
1997年2月ごろ、7ヵ月のユーラシア大陸を越える旅の途中、 インドに一ヶ月半滞在した。 コルカタ、ダージリン、バラナシ、デリーなどを訪れた。 法律上はすでに存在しないはずのカースト制度が実際には残る社会で、 たくましく暮らす多様な人びとがいた。 物乞いをする子ども、あふれる観光客と客引き、道ばたで生活する人、 そこを歩く牛たち、 その合間をぬって走るリクシャー(人力車)の運転手などなど。 そして今年の2月後半、13年ぶりにそのインドを訪れた。 バンガロールというICTの都市として有名な町で開催された国際会議に 参加するためだった。 ところが、インドの最先端の都市だと思って訪れたバンガロールは、 13年前のインドのイメージとほとんど変わっていなかった。 あふれるさまざまな人びとが、たくましく生活している。 たとえ経済的に底辺で暮らしていても、 その中で悟ったようにしたたかに生きる人たち。 そのあと訪れたチェンナイでは、ダリット(カースト制度のもとで 最下層のカースト外に位置づけられた人びと)の 反差別社会運動の拠点にも行った。 そこで、職業も制限されて水もないところでネズミを捕って食料に するような生活を強いられている人や、 2日がかりでレンガ1000個を作って わずか700円の収入を得ている出稼ぎの家族に会った。 その身分で生まれたということだけで理不尽な差別や死に至るような 暴力を受ける社会と、命がけで闘っている。 ダリットの現状を寸劇にしたり、そこから立ち上がろうという気持ちを 歌に託して伝えたりしている。 そして、帰りに経由したシンガポールでは、 超近代的高層ビルが立ち並ぶショッピングモールで、 20万円もするワンピースが当たり前に売られていた。 世界のこのような格差をあらためて実感したのだった。 (by 吉富志津代) ![]() ![]() ![]() |
九州食べ歩き |
2010-03-07 Sun 00:09
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「NPOと協働」 |
2010-03-03 Wed 07:26
『随想』3月1日(神戸新聞)より
震災の年は、「ボランティア元年」と言われ、 「NPO法人」という制度ができることにつながった。 NPO法人は、新しい公共サービスの担い手として、 行政と一緒に事業をすることも少なくない。 それは「NPOと行政の協働」ということばで表現されるようになった。 私もこのタイトルで、全国の自治体職員の方に話をする機会がある。 しかし、いったい「協働」とは具体的にどういうことだろうか? 「協働」という表現をしていても実際には委託または請負契約と いう形になる。 自治体が担っているサービスのうち、 専門の業者に委託をしている場合も多いが、 NPOが、営利目的である業者やコンサルタント会社とは違った視点での 専門性を高めてきた結果、さまざまな分野で委託先になっている。 例えば、公共施設の管理、情報の多言語化、各種セミナーの実施、 調査事業など。 同じ費用でも、NPOの場合は市民自身の市民自身による市民自身の ための的確なサービス内容である。 しかし、この「協働」は、さまざまな課題を抱えていることも 否めない。 たとえば、先日も私たちが委託されて、 企画から広報や実施まで中心的な役割を果たしたセミナーがあった。 当初は、こちらに専門性があるからと「お願い」されたとは言え、 私たちにとっても願ってもない活動の機会で、 まさに「協働」だと思って続けている。 しかし形としては委託事業なので、 セミナーの中で主催者挨拶をするのは委託主側になる。 でも、すべてのことを委託主が行ったかのように挨拶し、 「協働」の「き」の字も出ないのを聞くと、空しくなる。 もちろん、本来の意味どおりの「協働」を実感することもあるが、 対等ではない従来の契約の形が変わらない限り、 NPOが安い委託先として使われて疲弊し、 担当者には「協働」という意識があったとしても、 費用-それが住民の税金であっても-を出す側の「お上意識」は 変わらないのではないだろうか。 (by 吉富志津代) |
| とみちゃんのラテンな日々 |
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