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とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

新型インフルエンザ!!!!!

土、日と東京で開催されていた移民政策学会の年次大会
&理事会/総会に私が出席している間に、
神戸で国内初の新型インフルエンザ感染者がでた。
うちの団体では、メキシコで発生以来、この情報の多言語翻訳の
依頼に応えるとともに、
兵庫県/神戸市の相談の多言語通訳でも協力している。

しかし、感染者は神戸から出た上に、刻一刻と人数は増え、
5月18日夜の時点で神戸/大阪で感染者が139人になった。
そして、神戸市内のすべての学校は休校になり、
ほとんどのイベントは中止になった。

このようなニュースがいっぱい流れ、
神戸はまるで「汚染地」のようになり、
今日、東京から訪ねてくる予定だった学会の人達は
日程を延期すると連絡をしてきたし、
明日の国際交流基金のフィールドワークも
やっぱり中止になった。
さらに基金では、
私だけ名古屋に来てプレゼンテーションをしてほしいと
言ったあと30分もしないうちに
「危険なことはさけるよう外務省に言われた」と
断ってきた。

今回の研修はアジアの若手の研究者や行政担当者、
25名ぐらいを対象としたもので、
招聘責任者である外務省の判断はよ~くわかる。
これでもし研修に来た人から感染者でもでたら、
国際問題。。。。。
そして基金の担当者の気持ちもとてもよ~くわかる。
特に担当者は、大変恐縮していて、心から残念そうだったし、
私もむしろそんなことを言わされている彼女に同情さえした。
だから誰にも腹を立てているわけではない。
私はバイキンマン扱いされたわけだから、
普通なら不愉快度満点になるところだが、仕方がないと思う。

しかし、こういう対応が本当にまっとうなのだろうか。
厚生労働省によると、今回の新型インフルエンザは、
弱毒性で季節性インフルエンザと何らかわりないとのこと。
しかも私はインフルエンザの隔離病棟にいたわけでもないし、
感染者と濃くかかわったわけでもなく、
神戸市民160万人のうちのひとりというだけで、
市民の感染率は、たったの0.005%なのに、である。
そして、私はそのグループを引率している先生と
昨日まで東京で一緒だったのである。
少し冷静に考えたら、こんな理不尽なことはない。

この調子だと、
神戸から来たと言ってどこかの温泉旅館に行ったら
宿泊拒否をされかねない。

同じような他の機関から依頼された研修も、
うちの団体に来るのはやめて、
講師が行くことにさせられそうだったのを、
どうやら担当者のひとりが責任者に食って掛かって、
「そんな失礼なことはできない!」と
阻止してくれたらしい。

どんな場面になっても、大きな波に流されることなく、
しっかりと状況を把握して考えることを、
ひとりひとりがしないと、「風評被害」が
広がるのだとつくづく思った。

それにしても、手洗いと、うがいと、マスクはしっかりしよう。

090518_1932~01
こんなマスクにしてみました!(アイデアbyヨーゼフ)
マスク作成:あるがママ

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研究会アピール

このところ、固い話題の多いブログだが、
やっぱり今日もちょっと固い内容。。。。。

ある研究会で、今の不況の中で特に外国人の失職に関して
何か提言するようなアピールの時間を、ということで
少しお話しする時間をもらった。

短い時間なので、現在の日本における失職状況について、
とくに日系人の状況と対応策についてかいつまんで話した。
そして、「多文化共生」という言葉がめずらしくなくなり、
情報を多言語にする自治体の動きもかなり早くなってきた状況も話す。
しかし、今のような経済的に不安定な時になると一方で
派遣労働の多い外国人の失職者がかなりの数になっているのである。
言葉や国籍などによって、不利な状況もあり、
職と住居を同時になくした人も多い。
国籍に限っていえば、すでに日本国籍の日系人はかなり多い。
この状況では、「外国人」だとか「日本人」だとか
言ってる場合じゃない。お互いに助け合わなければならない。
「多文化共生」は、今ほんとうの意味で試されようとしている。

と、このように話したら、意見がひとつ。
「国籍が違うんだから職がなくなってもしょうがない」。。。。。

私がよく講演で紹介する人権意識調査の数字によると
1.「日本国籍を持たない人でも日本人と同じように人権は守るべきだ」
→「はい」わずか59.3%     
2.「日本に居住している外国人が不利益な扱いを受ける事があるが、
どう思うか」
→風習/習慣や経済状態が違うのでやむを得ない 33.7%
(内閣府「2007年人権擁護に関する世論調査」より)
とある。
まさに、その「先生」の意見はこの1.の問いに「はい」と
答えなかった人と同じで、実に日本人の4割なのだから、
決して少数派ではない。

この人達にとって、国籍は人権にも勝るという考えなのだ。
ここに日本人の、人権意識の低さが顕著にあらわれていると思う。
1947年の世界人権宣言ののちにできた国際人権規約に、
日本が世界に大きく遅れを取ってそれに批准したのは1979年。
日本はどうしてこんなにも遅れを取ったのだろうか。
世界中が国家というカテゴリーで成り立っている以上、
確かに国籍で選挙権など制限はやむを得ないかもしれない。
でも少なくとも人としての基本的な「人権」という概念は、
国籍に関わらず守られるべきなのだ、
という、私や私のまわりの人達にしたらあたりまえのことは、
日常生活のちいさな経験の中で実感をともなってひとりでも
多く理解していってほしい、と思う。

先の感想を述べた人は、ある公立の大学で教えている先生。
私はその無知な意見に対しての、理論的説明をあえてする気力さえ
なかった。
だけど、このことは、次の講演のネタにしてやろうと密かに思う
のであった。


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