運動の邪魔になる? |
2008-08-27 Wed 00:14
もうすぐ、ありがたいことに私の博士論文をベースに
した本が出版されることになった。 現在、そのリライト中である。 で、私の長年の活動仲間(と私は思っている)に 写真提供のお願いをしたら、 私の論文の内容が 「制度が変わらずして人の意識を変える ことができないからと続けてきた運動と相反する内容で、 運動の妨げになるから協力しない」 という厳しい批判を受けた。 私自身は論文の中でも述べているように、 いわゆる「外国人の人権運動」に関わる歴史や 裁判などで勝ち取って来た制度/法律にはあえて 深くは掘り下げず、また現状にも触れず、 あくまで運動家の動きに関心のうすい一般的な住民が、 ひとりでも多く関心をもつプロセスに主眼をおく。 もちろん制度/法律を変えることは言うまでもなく 目標であることに間違いはないが、 それだけでは人の本音が隠れてしまうだけで、 本当に人の意識が変わっているわけではない。 強要された制度であればあるほど本音は隠されていく。 一人でも多くの人に、納得した制度として守られるためには、 同時に人の意識もともなったものにしておくことが いかに大切かを私は伝えたいのである。 確かに人の意識が変わるには非常に時間がかかる。 つまり、人の意識が変わらないから制度を変えるために 運動をするという論理からすると、 人の意識が変わって制度を作ることを目標とすることとは、 手法が逆だということなのだろう。 しかし、制度が先か人の意識が先なのかということではなく、 それは車の両輪のようにしっかりとバランスを持ってして 社会が本当に変わると思うのである。 生ぬるいかもしれない市民活動でも、それが徐々に 広がることの手応えを私が感じているからである。 政府主導でできた制度が、多くの市民の本音の前では 脆いことも実感しているからである。 とはいえ、 とくに指摘された人種概念の既述は確かに浅く、 理論展開にも無理があり、考え直す必要のある部分でも あったことは認める。 出版にあたっては誤解のないような表現に変えた方が よかったということにも気づかされたわけで、 それを認めるのは何とも腹立たしのだけど、 そういう意味では、今回の批判は大変ありがたかったと 悔しいながらも結局は感謝する気持ちになった私であった。 |
Fiesta Latina |
2008-08-05 Tue 23:14
7月27日は、スペイン語情報誌「Mujer Latina」の発行2周年記念と
ペルーの独立記念日を祝してラテンフィエスを開催した。 うちの団体の中で頑張るラテンコミュニティが、 ようやく独り立ちにむけて歩き出した初めての自分たちの 手で開催するイベント。 準備中の会議も含めて、私はなるべく口を出さず最低限のお手伝い。 しかし当日は、料理準備と司会と記録のための写真撮影などなど 仕事はてんこ盛り。 おまけにその片付けといったら、これまでのどのイベントより きつくて倒れそうになりながらも、 使った場所はとにかくきれいにすることに神経をとがらせた。 イベントが6時半に終わってから、片付けには何と2時間半も かかり、ようやく帰れたのは9時。 たくさんで片付ければもう少し早く終わっただろうけど、 なにしろラテンの人達のおおかたは、さっさと帰る。 結局、最後まで残っていたのは、主な責任者ふたりと インターンだけ。 イベントはケガもなく大成功で、楽しんでもらえたと思うが、 ラテンコミュニティの行く末は、なかなか前途多難。。。。。 準備に、そして後片付けまで頑張ってくれたみなさん、 本当におつかれさま~ ![]() ラテン女性に混じって中国から帰国中の春菜ちゃんもお手伝い。 ![]() バーベキューの用意をするラテン男性たち ![]() 音響担当 ![]() ラテンのお料理も販売 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝から手伝ってくれた神奈川県で頑張っているミゲル(左端)と、 ベトナムから帰国中の私の息子の恭弘(左から2番目)も 最後だけ参加。 |
| とみちゃんのラテンな日々 |
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