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とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

姫路菓子博

ものすごい人手で、せっかく行ってもほとんど見れないと
いううわさの姫路菓子博に行ってきた。

実家の父母と娘と4人で、すでに混んでいる姫路駅から
歩いてお城まで行き、ぞろぞろとゲートを入る。
ここまでは結構スムーズ。
最初の「兵庫のお菓子館」は少し並んだだけだった。
ここでは兵庫県のお菓子紹介と世界のイメージを
お菓子で表現するなどのコーナーに続き、
帆船をかたどったお菓子などを見る。

そしてその次からは試食のできる「夢のお菓子ランド」は
190分待ちで制限され列にも並ぶことができず。
買って来たおにぎりをベンチで食べて休憩し、
お茶席でお抹茶と和菓子をいただくがこれは有料。

さらに「和の匠館」が60分待ち「テーマ館」は180分待ち。
でもあと一つぐらいは見なきゃと
「日本縦断お菓子めぐり館」には60分待ちの列に並んだ。
しかし、販売コーナーではさらにもう一度40分待ちの列
だったのであきらめる。

それにしても日本という国に住む人たちは、
根気よく、おとなしく3時間でも並んで待つということに
やけに感心してしまった。
入り口まで来て入場するのをあきらめて天守閣に上って
動物園を見るだけにしたヨーゼフも、その後に合流。
姫路名物のショウガ醤油のおでんなど食べて
商店街をぶらぶら歩いてから解散となった。

でも商店街では会場でお菓子を買えなかった人たちが
あちらこちらでお菓子など買い、お店に入って
おみやげを買っているのを目撃。

前売り券のバラまき過ぎだと批判的だった私だが、
これだけの人がやってきて、
地域の経済効果はかなりあがったのだし、
総体的には、この菓子博は大成功なんだろう、
と思いなおしたのだった。

チョコレートのトリュフで作った地球
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ブラジルのフェスタジュニーナをイメージしたお菓子
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大阪のあわおこしで作った太陽の塔
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ブラジル移住100周年

1908年4月28日、今からちょうど100年前、
神戸の港からブラジルへ向けた移民船「笠戸丸」が
781名の移民を乗せて南米へ向けて出発した。
全国で、そして神戸でもこれを記念してさまざまな行事が
行われている。

4月27日は、
私が深く関わってきた関西ブラジル人コミュニティの
主催するイベントのために一日中メリケンパークにいた。
岐阜県や広島などの各地から日系南米人が集まってきた。
この港から南米に渡った親や祖父母を思う彼らの心の底は
どのようなものか、私には計り知れない。

でも、私自身もこの日系南米人との関わりで人生が
大きく変わったという別の感慨があった。
大学を卒業して就職したのが当時神戸にあった
アルゼンチン総領事館。
その後も南米とのつながりは続き、
1990年頃からの急激な日系南米人の来日時は
たまたまボリビア名誉総領事館にいた。

1995年の震災を経て、ますます多くの
日系南米人との今の市民活動が仕事となり、
さまざまな日常へと広がる。
そしてそれを機に大学院に進学、
博士論文の研究テーマもブラジル人の自助組織を
事例とした多文化共生政策。

100年前の南米への移民政策という歴史がなかったら、
1990年の入管法一部改正による「デカセギ」という
現象がなかったら、今の私はまったく違う人生を
歩いていたかもしれない。

ラテンが好きで、スペイン語を学び、
歴史的背景と経済状況との関わりの中で今の私がある。
私の活動持論の責任のためにも、
今後の自助組織のあり方を問い、
課題を考えて見極めてみたいと思う。

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どう思います?

いろいろな会議やセミナーなどの場で、
全体的な時間配分を無視して自分の関心亊だけのために
長い時間を費やすことについて、
何も感じない人は必ずいるものだ。
こういう人は、今のはやりの言葉で表現すると
「KY」(空気読めない)と呼ばれる人なんだろう。
日本社会では、自分の意見を伝えなければならない場でも
きちんとわかりやすく主張できない人は確かに多く、
そういったプレゼンテーション能力や
会議での自分の意見をしっかりと伝える能力を身につける
ことは必要だが、
全体のことを考えずに自己満足のために時間を費やすこととは
別の次元のことだと思う。

先日ある研究会で、KY的な質問をだらだらすることの多い人が
またいつもと同様に時間を使っていた。
しかもそういう人に限って、本人は自分がすばらしい質問を
していると思っているらしいことがうかがえる。
もちろん質問がすばらしいものばかりである必要はないわけで、
それはいっこうにかまわず質問はする方がいいとは思う。
しかしこの人については、過去にも質問している時に
一度赤裸々に注意をされている場面を私もみたこともあった。

しかし、その後の懇親会での自己紹介でも、やはり同じように
ひとりで何分も話していたのを見かねて、
ある年長の先生があえてちゃかして注意をした。
そして、私もその年長者の一人として、彼の「社会性」に
ついて少しちゃかして同意した。

すると、彼は研究者としては新米の私のその言葉が
気に入らなかったらしく、そのあとで文句の電話をかけてきたのだ!

私なら、そういう言葉は自分の反省すべきこととして
気をつけようと思うところ、その人にとっては
ただ人を馬鹿にする「失礼なこと」だったらしい。
かくして私は年齢が一回りも下のこの研究者から
「失礼なことを言わないように」と「注意」をうけたわけである。
しかもこの研究者は、自分の先輩にあたる教授陣が
自分のことをいつもボロカスに言ってからかう、と
真剣に悩んでいると嘆く。
決してそれを自分への戒めであることには思い至らない。
あくまでも鈍感。
この人は、逆に言うと悪気のない「いい人」であることは
まちがいない。

やれやれと思いつつ、本音を言っても理解できないだろう、
このタイプの人には「それは失礼」と、とりあえず
謝ってしまう私がまた自分でも納得できないような
何とも後味の悪いできごとであった。

この研究者には私が希望したわけではないが、
実は論文をチェックしてもらうという関係もあった。
結果的に、一生懸命にチェックしてくれたことへの
感謝の気持ちには偽りはないが、残念ながら
内容的には大した参考になったわけではなかったことも
やはり言えず、それでもひたすら感謝の言葉を述べている自分。

こうして勘違いが積み重なり、このような「偉い人」は
製造され、気づくときっと周りから真実を言ってくれる人が
離れていくという寂しい結果になるのではないだろうか、
と自分のことに置き換えて、心配しつつ
つくづく気をつけようと思った次第である。

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