とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

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学位授与式

今日は博士号の学位授与式だった。
気合いを入れて着物ででかけ、
ヨーゼフも保護者(?)として参加した。
現役学生とは違う意味でとても感慨深い。
何しろこの年になってからの、
仕事を続けながらの新たな挑戦でもあった。
080324_1651~01

さらにヨーゼフは、アルプスの少女ハイジのセントバーナードに
似ていることから私の授けた名前だったが、
先日カトリックの洗礼を受けて、
本物の「ヨーゼフ」になったのだ!
josef2.jpg

しかも、娘も無事大学を卒業し,
希望の職種であるフォトグラファーとしての社会人生活が
始まる。
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(右が娘の美耶子/私の振り袖を着ている)

家族それぞれの新たなスタートである。


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帰国。。。

3月7日(金)
朝4時半にタクシーを呼んでもらってラパスのエルアルト空港へ。
ラパスは町を上から見ても下から見ても夜景が美しい。
アメリカン航空のチェックイン手続きは、かなり念入りで、
出国手続きをすませるまでに1時間半もかかった。
しかし、この便が1時間半も遅れたことがトラブルの予兆だった。
サンタクルス経由のこの便は、結局1時間遅れで
マイアミに4時半到着。
マイアミではアメリカの入国審査のための長蛇の列で、
ひとりひとりかなり念入りにチェックする。
やっと終わってバッゲージが出てくるのを待つが一向に
出てこず、ようやく出て来てチェックした荷物を
再度預けられたのは、
ここからオーランドへの乗り継ぎ便の出発時刻の10分前。
また手荷物チェックを通り,かなり遠いゲートまで走る。
表示板にはこの便がOn Timeになっているから必死。
この間,航空会社が同じなら、
もう少し責任をもってくれたはずだ。

ところが、搭乗口に着いたら、何とまだ職員さえ来ていない。
デルタ航空が信用できないのは、私が旅行手配をしていた頃と
変わらないようだ。
結局その便は10時半には出ると言ってずっと待たされた
あげくにエンジントラブルで欠航に!!!
Miami.jpg


それからが大変。いろいろ交渉の結果、
オーランドまで車をチャーターしてもらって走り、
オーランドのホテルに着いたのが午前4時。
Highway.jpg


せっかく予約しておいたホテルではシャワーをあびただけ。
予定外のドライブでは、運転手はペルー人で、
途中の料金所でも会話はスペイン語、
そしてホテルから空港に向うタクシーの運転手もハイチ人、
とアメリカの住み分けを見られておもしろかったけど。。。。
5時半に空港に向い、7時55分発のサンフランシスコ便に
予定通り搭乗し、サンフランシスコから関空行きに乗り換え,
長い長いフライトの後ようやく日本にたどり着いたのだった。

こうして2月17日からの3週間の充実した調査旅行は終わった。
このブログ日記も3週間毎日書いた!



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調査最終日

3月6日(木)
いよいよ調査の最終日となった。
ヨーゼフがアンマンに言った時に片言のスペイン語で
なんとかコンタクトをとった、
“Eco Jovenes(若者の環境)”というNGOのフリアが
待っている。
朝,エコホベネスの代表がホテルに迎えに来てくれて、
事務所のあるエルアルトへ。
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窓にはFMわぃわぃのステッカーも貼ってくれた。
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エコホベネスでは、青少年活動の一環としてラジオ番組制作を
したり、州内の新聞の子どもに関する記事を中心に、
評価分析を行って毎年評価報告書を出版するなどの活動を行う。
私たちが訪れた今日は、エルアルト市の記念日だけではなく、
青少年が制作したラジオ番組が、AMARC/Latin-Americaの
コミュニティラジオ60周年記念コンクールで優秀賞を得て,
そのはえある表彰授与式の日でもあった。
そして制作者である彼らは、600ユーロの賞金に大喜びだった。
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3月6日は、エルアルト市の 設立23周年のセレモニーの日で,
大統領も来ていた。
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3時にはJICAのボリビア事務所を訪問し,ラパスでの調査の
報告と,今後の活動の意見交換などを行う。
できれば SECRADやECO JOVENESともつながりを持ってほしい。
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最後の晩餐は、ティティカカ湖のマス料理で乾杯。
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明日は4時起きでいよいよ帰途につく。

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エル アルト

3月5日(水)
萱野さんの出発を電話で確認してから、ハードな二日間で
崩し気味の私の体調管理のためにもう一度今朝はゆっくり眠る。
8時半に起床してゆっくり朝食をとって、
10時にAMARC/Boliia代表のアナの“COIMA AMUYT'A"
(アイマラ語)という研修所を訪問。
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ラパスの高地に近隣の国やボリビアの地方からの移住者が
新しく作ったエルアルト(El Alto)という町がある。
住民がふくれあがって90万人にまで達し新しく市となった。
ラパス市と違い,人々はかなり貧困生活をおくっている。
ここは、女性達の伝統的民芸織物として有名なアルパカ製品の
研修とフェアトレードをしている製品作り部門、
ラジオ番組や情報誌発行の制作部門、
女性リーダーのエンパワーメントのための養成部門が
アイマラの女性中心にシステマティックに運営されており、
明確に「コミュニティビジネス」を目指していた。
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スキルの専門性も然ることながら、
彼女達の意気込みの真剣さに脱帽した。
午後は、初めての買い物タイムとなった。

ラパス市では、車の運転がかなり無秩序で誰も「譲る」と
いうことをせず、交通渋滞が日常茶飯事。
そこで、横断歩道をイメージしてゼブラが交通整理をして
いるのが何ともおかしかった。もちろんお仕事!
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昼食は地元のレストランで定食を食べる。
山盛りの料理なのにふたりでなんと600円!
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そして夜の8時から10時はボリビア民族音楽のショー
「ペーニャ」で楽しんだ。
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ティティカカ湖

3月4日(火)
早起きして、ティティカカ湖へ。
途中のコミュニティラジオ局にも立ち寄りながら、
コパカバーナという湖畔のラジオ局まで行く。
富士山と同じ高さにあるこの湖は、
晴れたらきれいな青い湖で感動。
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最初の“Las voces de los Andes(アンデスの声)"には、
まだ10代のロクサナが迎えてくれた。
残念ながらこのラジオ局の設立者である彼女のお父さんが
重病で床に伏していて会えなかったが、
見るからに極貧生活の彼女が親戚とともに朝と夕方に
放送をするこのラジオ局の放送に関わることを、
恥ずかしげに、楽しい、と語る笑顔に思わず握手。
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Andes2.jpg

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次に訪れたTiquina村の“Lacustre(湖畔)”というコミュニティ
ラジオは、町長を務めたこともある村の政治家が、
家業の小さなレストランをしながら続けていた。
子ども達の表現能力養成のために、村の小学校と協定を
結んで、授業の一環としてこのラジオを活用するなど、
その役割は大きかった。
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もうひとつ立ち寄ったラジオ局は残念ながら不在だったが、
最後の“Radio Copacabana"では、ちょうど村の集会にも
参加させてもらった。
ここまでラパスから車で約4時間。
ここはカトリックの聖地として知られ、復活祭にはラパスからも
多くの巡礼者が歩いて訪れるという。
その教会も見学して、名物のマス料理の昼食をとる。

コパカバーナ局では、集会のあとに村のリーダー達の番組編成
会議にも参加。
集会でもそうだったが、ここの村人の政治的関心の高さに驚く。
村の集会ではボリビアの憲法の話しを踏まえてこの村での盗難
撲滅のための「コミュニティ裁判」のあり方などの議論が
交わされていた。
編成会議では、これまでの11年間の放送にはなかった女性自身の
番組の誕生についての話しをしていた。

Copacabana1.jpg
Copacabana2.jpg

担当の女性が、帰り間際にホセルイスを呼び止めて
インタヴューをしていた。
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私たちの訪問を大歓迎してくれて、これからの交遊を約束した。
インターネットのおかげで、
地球の裏側の村ともつながることができるのだと実感。
風邪で発熱した萱野さんのことを気にかけながらも、
ラパスに戻って来たのは9時すぎ。
萱野さんは明日の早朝に帰国するので、念のためにJICAの
健康管理センターのスタッフにきてもらって彼の体調を診断してもらう。
どうやら大丈夫とのことで一安心。JICAの存在がありがたいと思った。

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カトリック大学で講義!

3月3日(月)
朝からホセルイスが教えているボリビア・カトリック大学へ。
まずは学長とのお話に続き、
コミュニケーション学部の学部長とのインタヴュー。
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ここにホセルイスが活動するSECRADというコミュニケーション
の権利のための中間支援組織団体の事務所もある。
それから明日の調査の予備情報のためのビデオを見て急ぎ昼食。
大学はラパスの南の方へ下ったところの高級住宅街にあり、
ホテル近辺の異次元の世界とは全く違う普通の近代的な町だ。
南米は階層社会だと言われる通り、
人々は完璧にすみ分けているようだ。

午後2時半から4時までホセルイスの大学院の授業で講義をする。
今日も朝からずっと通訳も兼ねる。スペイン語だけではなく、
なぜか英語も私が通訳するはめに。。。。。
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その後はホセルイスのレクチャーと、私たちのメッセージ収録。
そこから国立民族学博物館へタクシーを飛ばした。
既に閉館しているにもかかわらず、ホセルイスの上司が館長だと
いうおかげで、展示をみせてもらう。
午後7時半ごろからの館長との民族に関するお話は面白かったが、
この時間になると集中力も限界。頑張って通訳。
館長は英語を話して私がそれを日本語に訳し、
日本語はスペイン語に訳す。
ヨーゼフは自分の話しは英語で直接話す,という3言語の会話。
この博物館の屋上から見る夜景はまた格別!
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(山を這うように家が密集しているのが
地方からの移住者で新しくできた町「エルアルト」)

ようやく夕食にありついたのは9時。今日は日本食を試す。
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結構違和感のない普通の味だが、やはり量がものすごい。
かくして長い一日が終わった

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ラパスのダウンタウン

3月2日(日)
今日は一日スローモーション行動でゆっくりと
体をならすことに。
遅めの朝食の後は、ゆっくりと近所の散策。
今日は日曜日でホテル前の通りから延々と市が続く。
民族衣装の女性達の声と行き交う人々で活気にあふれた、
まるでタイムスリップしたような世界だ。
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屋台でつまみ食いをしながら、
民芸品店がが軒を連ねる坂道を下って
サンフランシスコ教会へ。


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その後は、郷土料理のレストランで昼食をとって
ホテルに戻る。
リャマのステーキを食べてみる。
ryama

午後3時に、今回の調査先のコーディネートをしてくれた
ホセルイスが打ち合わせにホテルまできてくれて、
見晴らしのいいホテルのカフェで話す。
夕方は、ひとりでもう一度通りへ出てみる。
暗くなってからの外出はかなり危険だと
脅されていたわりには、
まったくそんな雰囲気はなく、気をつけていれば大丈夫。
ボゴタの雰囲気とは違う。
夜はホテルで軽くすませてラパスでの一日目が終わる。
3人とも高山病の症状は出ず一安心。
ボゴタが2600mという高地だったので、
体も慣らされたのかもしれない。

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ボリビアへ

3月1日(土)
午前中、荷物の整理をすませたら、
アルゼンチンのAMARC/Latin-America事務所の管理担当責任者、
クラウディアにインタヴューをする。
ラテンアメリカは、2003年に一度再建のために一旦事務所を
閉鎖している。
再構築にあたり、理論構築をして組織をより民主的に立て直し、
中央集権ではなく地域分散型に組み替える基盤を作ったのが
彼女だった。
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彼女の話しは理論的に整理されており、
私たちのようなNGOの組織論にとっても、
報告書を書くにあたっても、非常に役に立つ。
さらに彼女からの、AMARC/Asia-PacificとLatin Americaを
つなぐ役割を日本が担ってほしいとの提案は、
まさしくAMARC/Japanが必要だと感じていたことだった。
彼女も喜んでくれて、これまでの組織化マニュアルのすべての
データを送ってくれることを約束してくれた。
これを英訳し、ASIAにも役立ててほしいとの彼女の考えは、
非常に柔軟で世界の将来を見通したものだと思った。
私には、AMARCの全体像の把握にはまだ時間が必要だが、
少なくとも地域活動へのフィードバックの可能性も高いことも
あるので、この翻訳を実現したいと思う。

急いでみんなとの最後の昼食をとり、空港へ。
いよいよボリビア・ラパスへの旅が始まる。
私が最も訪れたい国だ。
ペルーは残念ながら空港でトランジットしただけだが、
その後は高山病に備えてアルコールも控えて搭乗。
飛行機は夜中の12時半にラパスの空港に到着。
出迎えてくれたJICAの葦田さんにホテルまでタクシーで
同行してもらう。感謝!
夜中のホテル前はすでに真っ暗だったが、
無事にチェックインした。
3人とも高山病の症状はないが、高地でのフワフワ感の
中で就寝。

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女性のセッション

2月29日(金)

「女性とコミュニティラジオを通した民主化
-良き統治における女性の役割」
というセッションでパネラーとして発表した。
チリ、チャド、アフリカ,ボリビアのアイマラ族の女性が並び、
アルゼンチンの事務局の女性がコーディネーターを務めて
それぞれ発表する。
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アフリカにも南米にも女性の過酷な現状がある。
アフリカでは、紛争で毎日人が死んでいく中で、
女性は飢餓と貧困と性的暴力の底辺で何とか生き残るために、
武器としてのラジオを手にいれた。
ボリビアの先住民の女性は、先住民であることと
女性であることの二重の苦渋を経験している。
マイクを手に入れて、自分たちのアイデンティティや言葉を
守るために最低限の権利を主張して番組をしているが、
ラジオの主からは、事実の報道も制限され、
許された範囲の中でだけしか放送できない。
そういった状況に比べて、
日本はずいぶん恵まれていると言える。

私の発表は、
「日本における女性の一般的な状況とラテン女性との活動」
とした。
まず、日本が戦後の民主化により「民主主義」と言われて
いることを説明した。
それでも女性国会議員の数がたった4.6%でG8では最下位で
あること、
社会の大切な決定に関わる重要な会議などでは女性は
数えるほどで可視化されていない差別が確かにある。

そして、そういう社会に暮らすラテン女性は、
日本という言葉も習慣も文化も異なる所で、
仕事、家事、子育てなどに疲労困憊していること、
ラテン男性は、自国にいるのと同じように家事などは手伝わず、
ストレスを抱えていることを伝えた。
これを改善するために、主に女性のネットワークで、
ラジオ番組や女性誌を出すなどの発信をしていることを紹介。
ラテン女性をサポートして、一緒に日本社会における女性の
環境を変えるという目的があるとしめくくった。

あまりにも社会状況が違う発表の中だったが、
何人かから、日本でも私たちのような活動があること、
少しずつでもそういう運動の波とつながっていきたい、
などとコメントをもらった。
しかし、ラテンアメリカなどから女性が騙されて日本に
連れて行かれ,売春を強要されている事実と、
日本の売春市場の問題にラジオの番組が介入しているのか
どうか、という質問には、直接的な運動とは違った切り口で
展開している私たちの状況を伝えるのが難しかった。
そういった運動をしている団体もあること、
最近になってようやく政府も少し動き始め,
最近、逃げられない女性達が存在を知らせるために、
示すだけで状況がわかる多言語のカードが印刷して
社会に配られたということだけ紹介した。
番組は、ラテン女性がそういうテーマを扱うなら歓迎するが、
今はどちらかというと日常的な内容を扱っている事実も伝えた。


昨日と同様、時間はどんどん遅れて行く中、
日本のコミュニティラジオの状況、AMARC/Japanのこと、
FMわぃわぃ、FMピパウシのプレゼンテ―ションも無事にでき、
最後は「コロンビア宣言」で幕を閉じた。
宣言には「日本」という文字も入れてくれた。
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そして、最後の夜はこれもラテンの常道、
思いっきりサルサを踊って幕を閉じる。
con Staff

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vaile2.jpg
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私の発表したセッションについて、AMARCの情報発信ページに
写真とともに掲載された。
http://www.agenciapulsar.org/nota.php?id=12233
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やっぱりラテン!

2月28日(木)

今日は朝からサントトーマス大学のセミナー会場に
大型バス2台で移動し、一日中缶詰状態でセミナーづけ。
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予定表では8時から開始するはずなのに、
バスがホテルを出たのは9時前で、
セミナーが始まったのは10時。
基調講演は、短めに切り上げて調整したのはいいけど、
結局、我も我もと手を挙げて発言し、
質問かと思いきや、それぞれが自分のことをアピール。
参加者の大多数が発言するまでそのまま続き、
昼食をとって次のセッションが始まったのは午後3時。
3時から始まったのはいいけど、
7名の発表者は、10分という時間などおかまいなしに
しゃべり続ける。
そして、5時までの予定はとっくに時間がすぎているにも
かかわらず、質問やらアピールやらは続き、
結局そのおかげでFMわぃわぃのプレゼンテーションは
明日に延期されてしまった。
最後のパネルディスカッションは休憩なしに始まり、
最後の人は発表できずに一応きっちりと終わる。
それでも誰も文句言わない。
さすが、ラテン!
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