屋根裏部屋 |
2007-03-28 Wed 23:13
少し前から、夜中に天井で物音がし始めた。
その音で目覚めたりして、すごく気味が悪い。 うちの家は、古い日本家屋で隙間から天井裏には入れるのだと思う。 でもネズミのような走り方でもないし、なんだかのそのそしてる感じ。 蛇か、イタチか、はたまた人間が。。。知らない人が住んでたりして! そして、昨夜ついにヨーゼフは、押入から天井裏に入れるルートを見つけて 懐中電灯片手に天井裏に入っていった。 すると。。。。 「とみちゃん!ネコだ、黒いネコがメンチきってのそのそ歩いていった!」 そうか!ネコだったんだ!しらないまにうちでネコ飼ってたんだ! でも、ネコの家族が増えたりしたらどうしよう。。。。 ヨーゼフは、「とみちゃん、屋根裏ひろいよ~」って。 これからヨーゼフが屋根裏の住人になるかも。。。。 |
自治会長さんの集まり |
2007-03-28 Wed 03:05
先日、自治会長さんたちの集まりでお話をする機会があった。
区役所のコミュニティづくりセミナーの一環として 地域の「多文化共生のとりくみ」を紹介する、ということだった。 今までいろいろなところでお話しをしたことがあるが、 これは初めてのシチュエーション。 約30名の自治会長さんたち。うち3人のおばさん。 きれいごとではないことを一番よく知っているひとたち。 できるだけわかりやすく話した。 そして質問タイム。 「外国人はもっとルールを守らなあかん。うちの近所のマンションでは、 中国人が住んでるけど、しょっちゅう集まって夜遅くまでさわぐ。 10人ぐらいが出入りしてて、借り主の名前は日本人の名前やけど、 いったい誰が借りてるのかもわからん。」 「近くの公園で、インド人の中学生が夜遅くに花火をして困る。 注意したら『人種差別や』って言いよる。親はちゃんとしつけしてほしい。」 ほらほら、きたきた。やっぱりこういう質問! 私の話の中で、「ルールはきちんと説明しないとわからないし、 日本人でも外国人でもルールは守る人と守らない人がいる。」という ことも話をしている。 私、 「私たちだって、もし異国で暮らすと不安だから同じ故郷の人と 集まるのは安心ですよねえ。集まったら話しもはずみますよねえ。 それに10人のうちの誰かひとりに、こちらから一度でも挨拶したことあります? せっかく作られてる多言語のごみルールのちらし渡したりしたことあります?」 「インド人の男の子が全員花火してるわけじゃないでしょ? 他にもやんちゃな日本人の中学生もいっぱいいますよねえ。」 「もし何かあったとき、お互いに助け合わないとだめやから、 好きかどうか、友達になるかは別として、やっぱりお互いにお隣さんだと わかるようにちょっとした挨拶したらどうでしょう? 英語じゃなくて やさしい日本語でゆっくり話しかけてみてくださいね~」 おじさん、 「そうか、英語でなくてもいいんやな。そうか、不安やから集まるんか。」 でもこれって、多くの人が同じことを思っているし、 こうしてそれを正直に聞いてくれると、こちらも説明ができる。 私にとって、とても貴重な場だったなあ。 |
<AMARCキャンペーン「国境なきラジオ」> |
2007-03-21 Wed 02:38
昨年11月、AMARC(世界コミュニティラジオ連盟)にFMわぃわぃも加盟した。
AMARCでは、さまざまなキャンペーンが行われている。 今回は「国境なきラジオ」というキャンペーンにはじめて参加した。 明日3月21日は、世界的には国際人種差別撤廃の日として知られている。 なぜこの日なのかというと、 「1960年3月21日、南アフリカのシャープビルで 人種差別政策への反対のために集まった民衆数千人に警察官が発砲。 40秒間に705発が発射され、69名が亡くなり、186名が負傷した。 このうち正面から弾丸が浴びせられたのは一割強に過ぎず あとは逃げるところを背後から撃たれた。 この事件の残虐さは世界中を戦慄させ、 国連は1966年に3月21日を国際人種差別撤廃の日とした。」 世界では、この日に合わせて 様々なキャンペーンや催しが行われていている。 AMARCでは世界中のコミュニティラジオ局から寄せられた 人種差別をテーマにした多言語の番組を 24時間にわたってインターネットで放送するとともに 専用サイトに加盟ラジオ局がリンクをはって それぞれのコミュニティの人達に番組を届けていくものである。 すでにサイトには、各地から集まってきた番組がアップされ オンデマンドで聞くことができるようにもなっていまる。 今回は、私がブラジルの番組の松原マリナさんにインタビューをして 一応、日本語とスペイン語とポルトガル語の三言語で 在日外国人差別について話す番組を送った。 急に決まってぶっつけ本番で収録したので、 ちょっとしどろもどろの素人番組ではあるが、 参加することに意義がある、ということにして多くの人に知らせている。 http://www.rvsf.amarc.org/index.php?p=allaudios&l=EN このアドレスをスクロールして 「Racial Discrimination in Japan」というタイトルの 19分06秒の番組がFMわぃわぃから送った番組。 FMわぃわぃ(http://www.tcc117.org/fmyy/)では、 いつも世界同時放送をしているが、こいうふうな形での 番組は、初デビュー! |
はじめての掲載 |
2007-03-14 Wed 00:31
4月に多文化関係学会に投稿した私の論文が、
査読を経てはじめて学会誌に掲載され、昨日やっと手元に届いた。 博士課程後期2年目にしてひとつだけではきっと少ないと思う。 でも、「論文」の作法も知らなかった私が、 自分の活動の肩書きと関係なく書いた文章について、 一応「論文」の体をなしているということを認められたということで、 喜びもひとしおである。 論文以外の原稿依頼自体は現在も、入稿の済んだものをいれて5本ある。 ・多文化共生関連の入門書で、活動紹介とめざす社会 ・入管協会の月刊誌で、私の推薦する本の紹介 ・全国の自治体職員向け季刊誌で、多言語コミュニケーションについて ・メディア関連の文献で、コミュニティビジネス実践紹介 ・社会的排除に関する研究報告で、コミュニティメディアを含む実践報告 などなど。 決して文章が得意ではない私が何とか現状を伝えたいと いつも四苦八苦しながら書いて、 自信がないからヨーゼフに読んでもらうことにしている。 今回の投稿論文については親しい研究者の方に読んでもらいながらしあげ、 掲載が決まったときもかなり嬉しかった。 でもこういった学会誌は、ほとんど研究者以外の読む機会はなく、 いくら調査して分析しても研究のための論文にしかすぎず、 自分の論文が掲載されたと言っても、それ自体は嬉しいがやっぱり納得いかない。 今後もしきちんとしたものが書けたとしたら、 学会誌ではない形で多くの関心のある人たちに読んでほしいと思う。 |
医療通訳 |
2007-03-11 Sun 22:30
私が主宰しているNPO法人のプログラムのひとつに
「医療通訳システム構築モデル事業」というのがある。 誰でも、さまざまな理由で自分の国以外の暮らすことになったら 病気になったときのことが一番不安である。 ところが日本では、お金を払って治療を受けるにもかかわらず この医療現場での通訳サービスが患者の自己責任として認識され、 医療機関側は言葉の理解の不十分な患者を、 なるべくならうけいれたくないという姿勢である。 それどころか、たらい回しにしたり失礼な扱いをするなど、 人道的にも信じられない対応をすることさえある。 これは、もともと多くの医療機関が患者に対して 「お客さま」であるという意識がないことや、 「外国人」に対してのどちらかというとマイナスイメージ、 というダブルの日本社会の問題がここに集約されていると言える。 そこで、主に医療機関の認識を変えてもらうことを目的として このプログラムを2005年度から実施している。 2005年度後半の5ヶ月の依頼件数は約40件、 2006年度は今のところ100件ぐらいになりそうだ。 依頼者は1500円を負担して このNPO法人から医療通訳者を派遣し、 通訳者には4000円~5000円の謝金と交通費をNPO法人が渡す。 単年度の民間財団の助成金でやりくりをしている。 患者からの依頼が圧倒的に多いが、 病院からの依頼であっても、この1500円は患者が支払っている。 まだまだ時間をかけてとりくまなければとあきらめかけていたら、 今回の明石の病院からの依頼は、 はじめて病院がこの1500円を負担したのだ! 150件のうちの1件だからまだまだ気が遠くなりそうではあるけど、 病院の態度にやっとひとすじの光が差した。 こうしてひとりひとりの意識を変えていき、 それが波紋となって拡がっていくことを期待して、 根気よくこつこつとさまざまな活動を積み重ねてきたし、 これからも続けるだろう。 そしてこの15年、振り返って自分をみたとき、 もともと私には乏しかった想像力(イメージ)と 創造力(クリエイト)が増したように思う。 人の意識ではなく自分自身が変わっていることを実感する。 |
熱弁 |
2007-03-07 Wed 23:22
いろんなところに招いて頂いてお話しをすることが多いが、
どうも自分では気づかぬうちに、力を入れて話しているらしく、 いつも「熱弁をどうも」「パワフルですねえ」「相変わらず元気ですね」 と言われて、そうなんだ。。。と思う。 それは、実はちょっと恥ずかしかったりする。 講演で話すときはそれでもいいけど、 これが研究発表の場とかだとマイナスイメージになる。 つまり、感情で話しているようで、理論的でないように見える。 論文発表の時は、やはり冷静に淡々と話せるようになりたいと いつも反省する。 ゴア元副大統領の「不都合な真実」を見た。 彼の環境のセミナーの映画だが、 冷静に、しかも力強く、数字を示して理論的に、 ときどき笑いもとりいれながら、文脈の間をうまく駆使して わかりやすく、でも感情を込めて話す。 内容にももちろん感銘を受けたが、 彼のように何時間も人を引きつけられる話し方を めざしたいものだ。 |
| とみちゃんのラテンな日々 |
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