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とみちゃんのラテンな日々

Hasta mañana,que será será.....

ベルリン/クラクフ

クラクフの街は最初の印象とは違って、霧に包まれた東欧の古い街ではあるけれど、
そこに外国資本がどんどん入ってきて商業的な発展に向かっているようです。
駅前にオープンしたばかりの大型ショッピングセンターができ、
そこはありとあらゆる物であふれています。
日本の郊外型のショッピングモールの5倍ぐらいで、
さらにそれと同じくらいの規模の建物を建設中です。

“24時間オープンのアルコール”と書かれたBarも
日本のローソンぐらいの感じで見つけることができます。

でも、旧市街地とその周辺の観光客でにぎわうエリアとは裏腹に、
ユダヤ人街に入ると、古い街並みに観光バスが着いたとき以外は、
淡々とした日常を感じます。
ここは第二次世界大戦時にはヨーロッパ最大のユダヤ人ゲットーで
33万人が住んでいたところです。
その後のユダヤ人の収容所送りにより住人は十分の一になりました。
それでも戦災を逃れた建物にはユダヤの星マークが残っています。

この先の川をわたったところにシンドラーの工場があります。
映画「シンドラーのリスト」でも有名になったところで、
今でも観光客が訪れています。
かなり大きな規模で、モニュメントもあります。
当時、ここはユダヤ人たちの生死をわけた駆け込み寺だったのです。
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クラクフの街の中央広場では、
ここでもクリスマスマーケットで賑わい、人々が屋台の料理や
ホットワインで楽しそうに集っています。
その横にそびえている12世紀に建てられた聖マリア教会から流れる
トランペットの響きが、

ーその昔モンゴルが攻めてきたときにそれを知らせるために吹いた
ラッパふきがモンゴル兵の射た矢で死んだことを悼み、
今でも1時間おきに吹いているのですがー

なんだかもの悲しく感じました。
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ベルリンレポート5

無事に夜行列車でポーランドの国境を越え、クラクフに到着しました。
ドイツの空港は、化粧水やマスカラにいたるまで、液体はすべて出して、
ナイロン袋にいれて持たされるなどチェックが厳しいのと比べて、
列車と言うこともあり国境越えはパスポートにスタンプを押すだけでした。

ここは、ポーランドの古都で、静かで威厳のあるすてきな町です。

今日は、そこからバスで1時間半ほどの、アウシュビッツ強制収容所を
一日がかりで見てきました。
ドイツ人男子学生のサシャ(26歳)と日本人男子関学生(23歳)という
不思議なくみあわせの3人の旅です。

ベルリンのまちを歩いていると、家の入り口の足下に名前、住所、年
齢と、いつどこの強制収容所に連行されたかが金のプレートに書かれ
ているのを見つけます。知らなければ見落としそうなのですが、しっ
かりと歴史事実を厳粛に受け止めて伝えようとするドイツ人の意識の
表れであると思います。
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今日はその連行された先のひとつである巨大殺戮機関アウシュビッツ
強制収容所を訪れました。
それぞれのおぞましい建物の中でも特に、
ここに持ち込まれた身の回り品を詰めたかばんの山、
ガス室で殺されたおびただしい数の女性の髪の毛の展示と、
その横の毛で作られた絨毯の展示には、声も出ませんでした。

殺される前に撮影された顔写真の表情は、カンボジアのポルポト時代
にツールスレーン収容所で虐殺される前に撮られた人達の顔写真の表
情と同じように虚ろで恨めしそうで、直視に耐えられませんでした。
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ドイツ人であるサシャは、親にも話を聞かされ、学校でも習った歴史
ではあるけれど、この生々しい歴史を真剣な目で見つめ続けていまし
た。自分で、かなり気持ちが動揺したと言っています。
日本の学生達は南京大虐殺の展示を見て、はたしてどう感じるのでし
ょう。
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人間が大きな流れの中で集団として動いてしまう場合に、
勇気を持って正義を語れる人がひとりでもいるかどうかが
歴史を変えるのだと思います。
明日は、その歴史の流れに逆らってユダヤ人を助け続けたシンドラー
の工場を見に行きます。
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ベルリンレポート4

公的機関の視察も無事おわって週末を迎えました。
まちのほんとうの中心地以外は、列車も地下鉄も本数が少ない上、
工事などで、途中バス移動に振り替えがあったりでけこう不便です。
平日はかなり機能的な町ですが、これは意外でした。
また、日本の交番にあたるものがなくて、ちょっとした相談や
届け出をどこにしていいかがわからないとにも気づきました。
日本という国は本当に便利ですね。

夕方6時から、ちょうど一年前にわぃわぃに来てくれた、ドイツオー
プンチャンネルをサシャたちと一緒に訪ねて、ひさしぶりにリンケ
さんに再会しました。
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とても立派な設備で、メインの事務所にはわぃわぃのポスターが貼っ
てありました!
今回はマイノリティの放送に特化して話を聞いてみました。
たとえば、土曜日の午後は、イスラム、カトリック、プロテスタント
などのさまざまな宗教の番組が続くそうです。
でもその番組のスタッフ同士に接点は全くなくて、
それぞれ発信したいことを自分たちの言語で話します。
トラブルは、むしろその同じ宗教のコミュニティの中から対立する
グループ間で起こることがあるとのこと。
先日もトルコの番組で、ドイツ社会に批判的な表現のトルコ語の音楽
をかけていたスタッフの車に、そんな音楽をかけるのをやめろと書い
た石を投げてきたのは、同じトルコ人だったそうです。

また、ひとりのドイツ人のおじさんの「みんな仲良く暮らしましょう」
というタイトルのテレビ番組では、移民はもっとドイツの文化や言葉
を知ってドイツ人にあわせるべきだ。それができないなら住むな、と
いうような批判をコメントする番組に、クレームの電話が長々とくる
そうです。これはちょっと問題のある番組だそうです。

こういった番組に対して、オープンチャンネルのスタンスは、それぞ
れの番組のスタッフである市民の発信するという権利を最優先し、決
して番組をやめるようには言わないそうです。

さまざまな宗教番組もそれぞれが自分の中でトラブルを解決し、オー
プンチャンネルとしては乗ってもらうバスを提供するだけだというの
です。
そのおじさんの番組へのクレームについても、「よく考えたら偉い政
治家も言葉を変えて同じことを言っているのに、市民には文句を言う
のにその政治家にはどうしてクレームをつけないのか」と対応し、ま
たおじさんには、「もう少し言葉を選んでください」とは言うけれど、
番組を流す権利は奪わないということです。
リンケさんもこの番組は嫌いだそうですが、あくまでその人の発信す
る権利を守ります。

ここがFMわぃわぃとの違いだと感じました。
わぃわぃは、住民の交流や人権のための運動としてのラジオという道
具を使っています。
でもこのオープンチャンネルでは、あくまで市民が発信する権利を守
るのですね。
ラジオ局はそれをコーディネートするのです。

ヨーロッパという寛容という個人主義、自分以外の人間に干渉しない
社会と、村社会の人間関係を基本とする日本の中での、市民メディア
の少し違った角度での権利について考えさせられました。

ベルリン最後の日は、ベルリンの壁の境目の旧東ドイツ側ののみの市
に行ってみました。
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昔のアルバムや旧ベルリン時代の軍服など、さまざまながらくた市は
かなりの人で賑わっていました。
アジアと違って、あまり値切る交渉をしないのが私には物足りなかっ
たけど、日曜日はほとんどのお店が休みで、多くの家族連れの買い物
客で活気がありました。
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またベルリンはこの時期には、教会のそばでクリスマスマーケットが
始まり、屋台でホットワインやウインナー、ビフテキ、ポテトなどを
食べながら人々が集っています。

ベルリンというまちは、ドイツの勤勉で融通の利かないというイメー
ジとは少し違う印象でした。
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ベルリンレポート3

今日は、行政の関連部署と、ベルリンで一番大きいトルコ人街に
行って来ました。
昨日の移民・難民庁の役人の力強いことばに感動したものの、
現場の行政職員や顧問機関の新しい移民統合政策への期待は、
あまり大きくはなく温度差があります。
いくら政府が100億円以上の予算で動いても、地方への負担は
大きいようです。

特に集住地域の区役所の、自身もイラン出身の移民2世の女性も
「いくらドイツ語を勉強しても差別や偏見や学歴で、
職には就けないということが明らかな子ども達が暴動をおこすのは
無理もない。問題はそんなに単純ではない」
とあきらめ気味です。
それでも賞金をつけて「アイデンティティ」に自信をもつための
アイデアコンテストなどをして地道に取り組んでいるようです。

その集住地域は、整然ときれいなベルリンのまちの中心と比べて
雑然としていて汚いけれど、
何だか活気があって、楽しそうでした。
いろいろな催し物やあやしげなお店がならんでいます。
ベトナム、インド、トルコ、日本、タイ、イタリア、自然食品
などのレストランがあります。
多言語表示の少ないベルリンですが、
ここだけは看板も市民トイレの使い方表示も多言語です。

人間が生きるためのモチベーションをもつこと、
この大事なことを優先的に考えなければ、
きっとどんな政策も生きたものにはならないのでしょうね。

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ベルリンレポート2

ベルリンでのシンポジウムは一日がかりで行われました。
(内容は文章の末尾に記載しています。)

午前中の導入部分セッションでは、
「未熟練労働移民」「移民の質の選別」
「補充移民」など、
私たちにとっては神経を逆なでするようなことばと、
やたらと分析・調査結果の数字が並ぶような、
ストレスのたまるセッションが続きます。
昼食の時には、「移民は人間なのだ」というあたりまえの
ことを思わず周りの人に愚痴り、多くは外務省、
連邦政府関係者、欧州評議会、研究者などの
発表で、私が唯一のNGO関係者ということもあり、
このシンポジウムで話をしても通じないのではないか
という不安さえ感じていました。

でも午後のセッションが始まると、
やっと「生活者」としての移民の権利やホスト社会が
変わる必要性、そして地域づくりの視点での議論へと展開し、
極めつけは、ドイツ移民・難民庁の担当官の
すでに始まっている移民政策のすばらしさに力づけられ、
「ドイツは、あのヒトラーの時代の過ちを繰り返さないように
作られた憲法の意味に気づいて、もっと早く動くべきだった。
それは政府の過ちと認めると共に、
今からそれを取り戻すために、
予算を投入して政策を実践しつつある。
また、政府の移民・難民庁や、その他の必要な部署に
移民当事者の雇用を優先的に推進する」
と政府の職員が力強くまとめたときには感動して
しまったのでした。

私のセッションは、最後のまとめのパネルディスカッションで、
まず私がTCCなどのとりくみと、
なにをどういう手法で活動しているのか、
当事者と市民活動の連携、そのプロセスの大切さなどを
プレゼンテーションしてからパネルに入り、
かなりプラスの話で締めくくられたのでした。

終了してから参加者、関係者ともども、
「日本は政策は遅れているけど、市民レベルの草の根活動の
意味と、ひとりひとりの意識を変えるための当事者と市民が
連携して小さなしかけの積み重ねという手法を、
ドイツが学ぶべきことだという発言はかなりインパクトがあった」
という感想をいただきました。

最後のセッションで一緒だったトルコ人移民で
今は労働組合の幹部の人には懇親会が終わってから、
ホテルのバーでごちそうになってしまいました。

明日は、大使館の人が連邦政府関連のいくつかの機関に
案内してくれる予定です。
私のベルリン行脚はまだ続きます。

以下、シンポジウムの内容*******

<日独シンポジウム>
 日本とドイツにおける移民問題  均一性 vs 多文化主義
2006年11月23日(木)
ベルリン日独センター
(Saargem?nder Str. 2, 14195 Berlin, Germany)
                      日独語で開催(同時通訳付)

2006年11月23日(木)
9.15 h 参加者登録の受け付け開始
9.30 h 開会の挨拶
    フリーデリケ・ボッセ(Dr.、ベルリン日独センター)
    ミヒャエル マイヤー(フリードリッヒ・エーベルト財団)
9.45 h 導入「人口動態の変遷と移民問題」
    司会:ディータ ボガイ(Dr.労働市場・職業調査研究所)
  「グローバルな移民動向ーアクチュアルなトレンドとチャレンジ」
     シュテファン・アンゲネンド
         (Dr.ドイツ政策財団国際安全保障研究所)
  「移民、人口動態、社会制度」
     ハンス・ディートリッヒ・フォン・レッフェルホルツ
         (Dr.ドイツ移民・難民庁)
  「日本における人口高齢化と減少ーその労働市場および
       東アジアの国際的な人の移動との関係」
     井口泰(関西学院大学経済学部)
10.30 h ディスカッション
11.00 h 第1セッション「移民の経済的側面」
「日本の外国人雇用政策」
     望月知子(在ドイツ日本大使館)
   「移民の経済的側面」
     ディータ ボガイ(Dr.労働市場・職業調査研究所)
 「欧州連合(EU)労働市場と移民」
     エグベルト・ホルテュース(欧州委員会)
12.00 h ディスカッション

12.30 h 昼食

14.00 h 第2セッション「移民統合政策の課題」
   司会:ダビデ・キアバッキ(Dr.、ベルリン自由大学)
  「日本の統合政策」
   山脇啓造(Prof.、明治大学商学部)
  「地方の現状と課題」
   羽賀友信(長岡市国際交流センター)
  「建設的な移民統合政策における異文化理解面での要請事項」
   モハマド・ハイダリ(Dr.ドイツ労働総連盟・能力開発センター)
  「ドイツにおける融和促進政策およびドイツ移民・難民庁の役割」
   ミヒャエル・グリースベック(Dr.ドイツ移民・難民庁)
   ディスカッション
16.00 h 休憩

■16.30 h パネルディスカッション「統合か同化か」
  コーディネーター クリスティアン・シュタール
    (使命感を抱く市民のためのメディアエージェンシー)
 パネリスト
   「市民レベルの意識変革から統合政策へ」 
      吉富志津代(多言語センターFACIL)
      ミヒャエル・ロート(ドイツ連邦議会議員)
      ナフィズ・エルベック(ドイツ金属産業労組)
    山脇啓造(Prof.、明治大学商学部)
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ベルリンレポート1

20日(月)関空発の飛行機は2時間遅れで出発。
そのため乗り継ぎ便に間に合わず、次のフライトでベルリンへ。
飛行機から眺めるベルリンの夜景は、整然と
まんべんなくちりばめられた宝石のようにそつなくきれいだった。
今の時期は4時半ぐらいからもう暗くなるらしい。
急な航空便の変更にもかかわらず、ラゲージはちゃんと出てきてほっと一安心。
さすがはドイツの航空会社だ。
空港でもアジアやラテンアメリカのような客引きは一切見られず、
静かで物足りない。
今年の2月のインターンとしてTCCに来ていたサシャと野呂さん
(ドイツ在住歴6年の日本語教師。旦那さまがわぃわぃで日本語講座の番組担当)が
7時すぎにはホテルまで来てくれて、”Schwarzes Caf?”という古くから有名な
レストランでいわゆるドイツ料理の定番みたいな食事をした。
21日は、あの中越大震災でつながった長岡国際交流センターの羽賀さんと
東西を封鎖していたブランデンブルグ門を見に行き、
この門のせいで犠牲になった人達のことを思うと感慨深かった。
思わずベルリンの壁のかけらをおみやげに買ってしまった。
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翌日は列車で郊外にある、野呂さんが日本語を教えている学校の見学に行った。
小学校5年生から日本語を週に5時間も習っているという子ども達。
習い始めて3ヶ月なのに、コミュニケーションをとろうという意欲がすごい。
ドイツでは初めての試みである。
ドイツの教育の新しいチャレンジに関わっている日本人女性のひとりだ。

ベルリンは整然としていて機能的で安全。贅沢な物にあふれ、
今はクリスマスマーケットも始まって、なんだか大人っぽいまちだ。
でも、通りにはところどころにユダヤ音楽やトルコ音楽を演奏したり、
地下鉄で情報誌を紹介しながら寄付を集めたり、
一日の糧を稼ぐ移民の姿がある。

明日は、日本とドイツの移民問題に関するシンポジウムで、
私たちの活動と、政策との関わりのプレゼンテーションをする。
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海外出張

もうすぐ、ベルリン出発だ。
これまで、助成金などの申請をして予算を獲得して海外視察などに行ったのは3回。
通訳&添乗員の仕事、あるいは自分で企画したスタディツアーで、
それなりのお給料をもらって海外に行ったのは13回。
でも、今回のように招待されて行く海外は2度目。
こんなありがたいことはない。

シンポジウムは2日間だが、この機会に以下のところも訪問する予定。
・日本大使館にてブリーフィング
・連邦政府の移民・難民・統合担当大臣
http://www.bundesregierung.de/Webs/Breg/DE/Bundesregierung/
BeauftragtefuerIntegration/beauftragte-fuer-integration.html
・ベルリン市の統合・移民担当官
http://www.berlin.de/lb/intmig/piening.html
・クロイツベルク地区のトルコ人街

またうまくあえば行ってみたいと思っているのは、
・「民主主義と人権の家」:70近いNGOが集まっている
Haus der Demokratie und Menschenrechte
Greifswalder Str. 4, 10405 Berlin
http://www.hausderdemokratie.de/artikel/index.php4
・ベルリン・イスラム連盟
Islamische Foederation in Berlin
Boppstr. 4, 10967 Berlin
http://www.islamische-foederation.de/presse/Kopftuch.htm

さらに、夜行列車でポーランドに入ってアウシュビッツ強制収容所に行き、
クラクフで、シンドラーの工場やユダヤ人街に行くことにしている。

一緒に行く研究者の方や、紹介してもらったベルリン滞在中の方、
そして、うちにインターンとしてきていたベルリン自由大学の学生の
おかげで、充実した濃い10日間の出張になりそうだ。

ヨーゼフが10日から参加している世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)の
会議に私も参加する予定だったが、ベルリンの話がきたので、
さすがに続けては無理と判断。
来年、南米の市民メディア調査のお誘いがきているので、待つことにしよう。

こうして考えると、自分たちの地域活動を世界に発信するような時がきたのだ
という嬉しい実感!
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出張のはずだった

11月14,15日は岩手に出張のはずだった。
自治体国際化協会の委託で私たちも作成に関わってできあがった、
災害時多言情報ツールの自治体職員対象の説明会と、
来年度のこの事業の展開のための打ち合わせがあるからである。
ところが、どういうわけか日程の連絡調整をしていたヨーゼフが、
一日ずれた日程を思いこんで処理していたため、
直前になってそれが13,14日だったことが発覚!
私は13日に別のパネルディスカッションのパネラーを引き受けていて、
ぜったいに変更は不可能という状態。
結局、何とか別のスタッフに代わりに行ってもらい、
打ち合わせについては、そのまま持ち帰るということで収まった。
やれやれ。。。

書かねばならない原稿を二つ抱え、ベルリンでの発表の準備もせねばならず、
おまけに出発までに準備を整えるべき助成金の申請書もあり、
だめおしで18日の夜から仙台でのシンポジウムで19日の夜に戻り、
翌早朝からベルリンに発つというハードスケジュール。
まあ、14,15日があけられて、助かったというのが本音。

でも、実は私、この岩手行き、密かに楽しみにしていたのだった。
盛岡冷麺に地酒においしい地場料理。。。。。
はじめての岩手行きが。。。。。
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核全廃への悲願

湯川秀樹の生涯を通じての悲願をテーマにしたテレビ番組を見た。
広島や長崎のことだけでなく、すべての人類のために、
核全廃を叫んできた。
核保有を抑止に使う国家間のエゴイズムを鋭く批判し、
それに加担する科学者の愚かさを嘆く。

ごくわかりやすい当たり前のことなのに、
なぜ人間はそのことに気づかず、核開発を続けるのか。

先日の馬鹿な政治家の日本の核保有賛成論に、
私たちは、どうやって抗っていけばいいのだろうか。。。。

世界の科学者のトップの執念のような一生をかけた活動でさえ、
この流れを変えられなかったのかと思うと、悲しい。

私には遠すぎる問題だが、誰にとっても人ごとではない。

つい最近も、研究発表の場で、
「国民国家の単位で成り立っている世界において、
その国の国籍を持たない者は、権利を主張するべきではない」
と、平気で言い切る若者を身近で見たときに
背筋が凍る思いがしたことと重なった。
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