2009.06.17 (Wed)

東欧へ。。。 

5月末に休暇をとってヨーゼフと娘と3人で東欧を旅行した。
プラハ(チェコ)、クラクフ(ポーランド)、ウィーン(オーストリア)を
列車での旅だった。(写真は少しずつアップします)
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ウィーンからプラハへ向かう列車の中
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川に浮かぶボートホテルは、少し寂れた感じで、すでにブームは
終わっているようだ。
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プラハでは、サシャ&彼女も来てくれて楽しい時間をすごす。
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ヨーゼフの念願の「プラハの春」の舞台では犠牲になった学生の碑に黙祷。
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きれいな夜景にため息をつきつつも、めったに降らない雨日和にあたり、
通常の気温よりも低く風邪引きそうな3日間だった。
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プラハ城の夜景↑ 昼のプラハ城をバックに↓
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チェコのマリオネットは有名
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プラハでは、あまりにも多い観光客に対して人々はあまり愛想はよくない。
しかし、さすがにビールはうまく、豚肉の味もよく、
お料理もヨーロッパとアジアの中間のメニューは格別だった。
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プラハから夜行列車でクラクフに向かう。
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寝台車は思ったより快適でぐっすり眠って早朝にクラクフに到着。
ここでは、アパートメントを借りたのだが、3ベッドルームにダイニング、
バス/トイレつきでけっこう豪華。
しかし、電気系統の不備とかがちょっとあって快適さが半減。。。残念。
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ヨーゼフと美耶子がアウシュビッツ強制収容所に行く目的で
訪れた町クラクフには、私は3年前にも来たことがあるが、
こじんまりとしたいい町で落ち着く。
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晴れた日には、町を囲む城壁沿いに画家たちが絵を売っている
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美耶子、聖マリア教会をバックに
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ヴァヴェル城!
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ユダヤ人街の追悼碑
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2度目のアウシュビッツでは、ひとりしかいない日本語ガイドの
中谷さんにガイドを依頼し、
1度目にサシャたちと来た時とは違った話しも聞けた。
本当はゆっくりと何度か訪れるべき場所なのかもしれない。
以前は写真撮影は自由だったのだが、増えすぎた訪問者のマナーの
問題なのか、撮影禁止の看板がたくさん立ててあった。
(ブログ2006年11月の「ベルリンレポート5」参照)
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ナチスドイツの歴史に触れてしっかり考えることは、
人類にとってとても大切で、
中谷さんいわく、神戸の新型インフルエンザの人々の反応を見ても、
この歴史につながりかねないジェノサイドのきざしを感じてしまい、
もっと日本の若者にもここを訪ねて来てほしいとのこと。
私たちが行った時も、たった一組の学生風日本人男子ふたりを
みかけただけだった。
美耶子にとっても、きっと何かを感じて考える機会になったと思う。

さて、クラクフでもおいしいものはいっぱい。

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そして、クラクフ最後の夜は、カフェで記念写真。
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クラクフ駅前
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クラクフからウィーンに向かう列車の車窓からは美しい田園風景が。。。
そしてウィーンでの最後の夜は、私の大好きな「ホイリゲ」で
思いっきり食べて飲んだのだった。
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出発前に行ってみたマリーアントワネットのお城はあまりにも壮大で、
その途中に通って来た蚤の市の庶民的感覚とのギャップを感じた。

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香辛料を仕入れる
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地下鉄で
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シェーんブルン宮殿
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グロリエッタの野外ステージでクラシックコンサートのリハーサル中
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こうして私たちの家族旅行は滞り無く終了した。
久しぶりの観光を堪能した。
で、ヨーゼフはヨーロッパはもうおなかいっぱいって言う。
こちら方面なら、私は今度はスペイン/ポルトガル/モロッコ/の
あたりに行きたいなあ。








EDIT |  23:20 |  日常のできごと  | TB(0)  | CM(1) | Top↑
2009.05.18 (Mon)

新型インフルエンザ!!!!! 

土、日と東京で開催されていた移民政策学会の年次大会
&理事会/総会に私が出席している間に、
神戸で国内初の新型インフルエンザ感染者がでた。
うちの団体では、メキシコで発生以来、この情報の多言語翻訳の
依頼に応えるとともに、
兵庫県/神戸市の相談の多言語通訳でも協力している。

しかし、感染者は神戸から出た上に、刻一刻と人数は増え、
5月18日夜の時点で神戸/大阪で感染者が139人になった。
そして、神戸市内のすべての学校は休校になり、
ほとんどのイベントは中止になった。

このようなニュースがいっぱい流れ、
神戸はまるで「汚染地」のようになり、
今日、東京から訪ねてくる予定だった学会の人達は
日程を延期すると連絡をしてきたし、
明日の国際交流基金のフィールドワークも
やっぱり中止になった。
さらに基金では、
私だけ名古屋に来てプレゼンテーションをしてほしいと
言ったあと30分もしないうちに
「危険なことはさけるよう外務省に言われた」と
断ってきた。

今回の研修はアジアの若手の研究者や行政担当者、
25名ぐらいを対象としたもので、
招聘責任者である外務省の判断はよ〜くわかる。
これでもし研修に来た人から感染者でもでたら、
国際問題。。。。。
そして基金の担当者の気持ちもとてもよ〜くわかる。
特に担当者は、大変恐縮していて、心から残念そうだったし、
私もむしろそんなことを言わされている彼女に同情さえした。
だから誰にも腹を立てているわけではない。
私はバイキンマン扱いされたわけだから、
普通なら不愉快度満点になるところだが、仕方がないと思う。

しかし、こういう対応が本当にまっとうなのだろうか。
厚生労働省によると、今回の新型インフルエンザは、
弱毒性で季節性インフルエンザと何らかわりないとのこと。
しかも私はインフルエンザの隔離病棟にいたわけでもないし、
感染者と濃くかかわったわけでもなく、
神戸市民160万人のうちのひとりというだけで、
市民の感染率は、たったの0.005%なのに、である。
そして、私はそのグループを引率している先生と
昨日まで東京で一緒だったのである。
少し冷静に考えたら、こんな理不尽なことはない。

この調子だと、
神戸から来たと言ってどこかの温泉旅館に行ったら
宿泊拒否をされかねない。

同じような他の機関から依頼された研修も、
うちの団体に来るのはやめて、
講師が行くことにさせられそうだったのを、
どうやら担当者のひとりが責任者に食って掛かって、
「そんな失礼なことはできない!」と
阻止してくれたらしい。

どんな場面になっても、大きな波に流されることなく、
しっかりと状況を把握して考えることを、
ひとりひとりがしないと、「風評被害」が
広がるのだとつくづく思った。

それにしても、手洗いと、うがいと、マスクはしっかりしよう。

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こんなマスクにしてみました!(アイデアbyヨーゼフ)
マスク作成:あるがママ
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2009.05.05 (Tue)

研究会アピール 

このところ、固い話題の多いブログだが、
やっぱり今日もちょっと固い内容。。。。。

ある研究会で、今の不況の中で特に外国人の失職に関して
何か提言するようなアピールの時間を、ということで
少しお話しする時間をもらった。

短い時間なので、現在の日本における失職状況について、
とくに日系人の状況と対応策についてかいつまんで話した。
そして、「多文化共生」という言葉がめずらしくなくなり、
情報を多言語にする自治体の動きもかなり早くなってきた状況も話す。
しかし、今のような経済的に不安定な時になると一方で
派遣労働の多い外国人の失職者がかなりの数になっているのである。
言葉や国籍などによって、不利な状況もあり、
職と住居を同時になくした人も多い。
国籍に限っていえば、すでに日本国籍の日系人はかなり多い。
この状況では、「外国人」だとか「日本人」だとか
言ってる場合じゃない。お互いに助け合わなければならない。
「多文化共生」は、今ほんとうの意味で試されようとしている。

と、このように話したら、意見がひとつ。
「国籍が違うんだから職がなくなってもしょうがない」。。。。。

私がよく講演で紹介する人権意識調査の数字によると
1.「日本国籍を持たない人でも日本人と同じように人権は守るべきだ」
→「はい」わずか59.3%     
2.「日本に居住している外国人が不利益な扱いを受ける事があるが、
どう思うか」
→風習/習慣や経済状態が違うのでやむを得ない 33.7%
(内閣府「2007年人権擁護に関する世論調査」より)
とある。
まさに、その「先生」の意見はこの1.の問いに「はい」と
答えなかった人と同じで、実に日本人の4割なのだから、
決して少数派ではない。

この人達にとって、国籍は人権にも勝るという考えなのだ。
ここに日本人の、人権意識の低さが顕著にあらわれていると思う。
1947年の世界人権宣言ののちにできた国際人権規約に、
日本が世界に大きく遅れを取ってそれに批准したのは1979年。
日本はどうしてこんなにも遅れを取ったのだろうか。
世界中が国家というカテゴリーで成り立っている以上、
確かに国籍で選挙権など制限はやむを得ないかもしれない。
でも少なくとも人としての基本的な「人権」という概念は、
国籍に関わらず守られるべきなのだ、
という、私や私のまわりの人達にしたらあたりまえのことは、
日常生活のちいさな経験の中で実感をともなってひとりでも
多く理解していってほしい、と思う。

先の感想を述べた人は、ある公立の大学で教えている先生。
私はその無知な意見に対しての、理論的説明をあえてする気力さえ
なかった。
だけど、このことは、次の講演のネタにしてやろうと密かに思う
のであった。

EDIT |  15:42 |  日常のできごと  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2009.04.05 (Sun)

うぬぼれ 

自分が情けないと感じて気づかされることがたくさんある。
どう情けないかというと、軽視されていると思うとき。

人間は誰しも年を重ねるが、高齢になると幼児のような扱いを
されがちである。
うちの両親は現在82歳と77歳でふたりで暮らしている。
私が訪ねて行くのをとても楽しみにしている。
することなすこと、何だか心もとなくてつい心配して説教口調になる。
でも、人生経験は私などのはるか上をいくのである。
つい私がえらそうな口をきいたとき、馬鹿にされたように感じて
反論する母親の表情、諭すように話したら悲しそうにする父親を見て、
はっとする。

若い時のように計算が早くできなかったり、
言葉がなかなかでてこなかったり、記憶が飛んでいたり、
さっさと動けなかったりしても、もっと深いところで熟練しているのに。
年を重ねて反応が鈍くなることと、知らないということとは
別なのだから、その人のペースにあわせて待つという行為が必要。
それは、外国出身で日本語の理解が不十分な人たちに
対する態度にも共通する。
日本語がわからないということと、知らないとか理解できないと
いうこととは別なのだ。

私も、けっして若いわけでなく、物事を勘違いしたり、
もたもたしたりする年齢層になりつつある。
パソコンの操作のある部分だけがわからずにたずねて、
若いスタッフたちがそれを教えてくれる時の態度に、
「ああ、この子はそんなことまで私がわかってないと思ってるんだ」
と、内心それを「うぬぼれてるな」と感じることがよくある。
そう感じてしまう自分は、きっと親にも同様のことを感じさせているのだろう。

少しぐらい自分が得意なことでも、まだまだ自分の知らないことの方が多く、
あることについて、「この人よりも自分の方が優れている」
という「うぬぼれ」は相手にもそれを感じさせ、
いつか自分が恥をかくことになると自戒しておきたい。

EDIT |  22:46 |  日常のできごと  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2009.03.17 (Tue)

多文化共生社会ってなんだろう? 

毎年、とくに秋頃と年度末頃になると、
いろいろなところから声をかけていただいてお話をする機会が増える。
年間60回ほどのその講演料は、団体の大切な活動資金にもなる。
そして、お話を聞いてくれた人にとっても、私自身にとっても
テーマについて関心を持って議論をする機会でもあると思うので、
たいへんありがたい。

しかし、話せば話すほど、私が伝えたいということを、
違う背景や関心や価値観を持つ方たちがきいたときに、
受け取り方も、印象に残ることも、多様であると実感している。
場合によっては、思いもかけぬ被害者意識を持つ人や、
まったく逆の受け取り方をする人がいて、
本当に「伝える」ことの難しさを痛切に感じるばかりである。

中でも私が話すテーマによくつけられる「多文化共生」という言葉は、
実にさまざまな捉えられ方をしていて、
あいまいに広がっているように思う。
これまでよく使われてきた「外国人支援」という言葉に
置き換えられているだけのことも多々ある。

私たちは阪神・淡路大震災で、大切なことに気づかされた。
あのとき、ベトナム出身の人達は、「避難所」という言葉は知らなくても、
ガレキの中から多くのけが人を運び出し、
視覚に障害を持つ人は、
火事の煙の中で見えなくてパニックになる人を誘導し、
茶髪の、よくコンビニの前でたむろしていた中学生は
バケツに水を入れてお年寄りのところに運んで活躍した。

いずれも日常的な生活の中で、
情報が十分に得られなかったり、学校を停学になっていたり、
社会から何らかの理由で、
排除されたり切り捨てられたりしている経験をもつ「少数者」と
言われる人達ではなかったか。

「ルール」という「多数者」だけで決めた目に見えない権威で、
それがあたかも社会の中で絶対的に大切にしなければならないことの
ように縛られ、その枠に入らない人達を非難する。
その「ルール」を決める時にすべての人の意見が
きちんと取り入れられたのかどうか考える前に、である。

ここが「日本」だから、ここが「学校」だから、ここが「会社」だから、
そこにいたかったら、この「ルール」を守らないなら出て行け、と。
そのため、少数者たちは、とびきり頑張っているひとにぎりの人以外は、
活躍するチャンスがなかった。

もちろん社会の秩序を保ち、多くの人間が協調して暮らす社会では、
「ルール」を作ることは大切なことである。
しかし、忘れてはいけないのは、
地域社会にこんなにいろいろな人が住んでいるのに、
「少数者」の、ひとりひとりの意見や考えを公平に聞いてできた
人の心のこもった「ルール」であるかどうかの見直しを
常にしておかなければならないということではないだろうか。
多数決という原理を盾に、
「多数者」だけに有利なものになっていないだろうか。

完璧な「ルール」はたぶん存在しないのだと思う。
どこかで誰かが我慢する場面も必要だと思う。
だからこそ、それをいつも考え直すというプロセスで、
多様な人達のことがお互いに理解でき共感できる。
そのプロセスで社会が少しずつ成熟していくのではないか。

大変な状況では、出自や年齢や性別や障害の有無に関わらず、
どんな人も、その状況で自分の発揮できる力を出して
確かに助け合ったのである。
これが、私たちの体験したことである。

それまでは、
自分たちが常識だと思い込んでいるできあがった「ルール」に安心し、
それをもとに人を排除して来たのかもしれない。

「多文化共生社会」とは、
さまざまな個性をもつ人達が一緒に安心して暮らせる社会を、
混乱や面倒なことを覚悟してめざしていくプロセスで、
少しずつ成熟していく民主的で人権の守られた社会に近づくための
「考え方」なのだと、私は思う。

そして、この文章を読んだ人に、どのぐらい私の真意が
そのまま伝えられるだろうか。。。。。
おそらく、その伝えたい相手と私との信頼関係を日頃どのように
構築しているかということで、その伝わり方も違うのだろう。


EDIT |  13:42 |  日常のできごと  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
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